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2022.04.24

量子コンピュータの正しい理解にもとづいた量子機械学習の最前線レポート

最終更新日:

前書き

最近テック系ニュースでよく見かけるようになった量子コンピュータについて、その印象を聞かれると「爆速で処理する新型コンピュータ」と答えたくなる人は少なくないように思われます。また、時々耳にするようになった量子機械学習についても、「量子コンピュータを使って爆速で実行する機械学習」という印象を多くの人が持っているのではないでしょうか。

以上の印象は間違っていませんが、多少の誤解を含んでいます。この記事では量子コンピュータに関する誤解を払拭したうえで、量子機械学習研究の最前線を紹介します。

この記事の要約

この記事は、量子コンピュータを正しく理解するためにその動作原理のみならず、市場動向や開発進捗についてまとめた後に、量子機械学習研究の最前線を眺望します。こうした構成のため、全文を読むには少なくない時間と労力を要してしまいます。それゆえ、この記事を簡単に理解するために、はじめに内容を以下のような5つの観点に分けたうえで箇条書きにしました。各観点を詳述している見出しも明記しましたので、興味に合った見出しだけを読むことも可能です。

  1. 量子コンピュータの工学的特徴(見出し『量子コンピュータの工学的特徴』を参照)
    • 量子コンピュータとは「圧倒的な処理速度のコンピュータ」ではなく、「重ね合わせ」と「干渉」という量子力学的現象を演算に応用した古典的コンピュータとは動作原理が異なる計算装置
    • 量子コンピュータは複数の状態を重ね合わせて演算できるため、組み合わせ最適化のような特定の問題を解決する場合、古典的コンピュータにくらべて圧倒的に処理過程を削減できる。
  2. 量子コンピュータ市場の動向(見出し『量子コンピュータ市場の成長予測』および『量子コンピュータをめぐる資金の流れと想定応用分野』を参照)
    • 量子コンピュータ市場は成長が予想されている一方で、研究開発はまだ黎明期にあるため、本格的な普及期の前に一時的な低迷期を経験する可能性がある。
    • 世界各国が量子コンピュータ開発に公的資金を投入する一方で、アメリカでは量子ビジネスの起業がさかん。
    • 特定の演算が得意なことから量子コンピュータの応用分野として、化学、製薬、自動車製造、金融が想定されている。
  3. 量子コンピュータの開発進捗(見出し『量子コンピュータ開発の現状』を参照)
    • 量子コンピュータの重要な性能指標として量子ビット数があるが、現在実現している最多の量子ビット数は127実用化に必要な量子ビット数が100万以上なので、実用化までには幾多の困難があるだろう。
    • 量子ビット数が少ない量子コンピュータと古典的コンピュータを組み合わせたハイブリッド量子コンピュータの研究開発も進んでおり、同コンピュータの応用は2020年代には普及すると予想される。
  4. 量子機械学習とは何か(見出し『量子機械学習とは何か』を参照)
    • 量子機械学習とは、量子コンピュータで実行できるように動作原理の違いを考慮して移植された機械学習アルゴリズムのこと。
    • 量子機械学習は古典的機械学習より優れていることを意味する量子超越性が証明されることで、その価値が確かなものとなる。
    • 現在、量子カーネル法のような量子機械学習に加えて、量子CNNのような量子ディープラーニングの研究も進んでいる。
  5. 量子コンピュータと量子機械学習の未来(見出し『量子コンピュータと量子機械学習の未来』を参照)
    • Google等の量子コンピュータ開発をリードする企業のロードマップをふまえれば、量子コンピュータの社会実装が進む本格的な量子の時代は2030年代になる見込み。
    • ハイブリッド量子コンピュータの活用は数年以内に始まり、今後は同コンピュータを使った量子機械学習のPoCがさかんになるだろう。
    • 量子コンピュータと量子機械学習の研究開発は一時的な低迷期を経るかも知れないが、そのポテンシャルを信じて見守りとフォローアップが肝要。

量子コンピュータの工学的特徴

量子機械学習について論じる前提として、まずは量子コンピュータの工学的特徴をまとめていきます。なお、まとめるにあたっては量子コンピュータの研究開発者が一般読者向けに執筆した書籍『量子コンピュータが本当にわかる! ― 第一線開発者がやさしく明かすしくみと可能性』(以下、「量子コンピュータ読本」と表記)を参考にします。

動作原理から見た量子コンピュータと古典的コンピュータの違い

量子コンピュータの工学的特徴を理解するには、「そもそもコンピュータとは何か」という原理的な問いかけに立ち戻る必要があります。コンピュータ(computer)とは英単語で「計算する」を意味する「compute」を語源とした言葉であり、あえて和名的に訳せば「計算装置」という表現がふさわしいでしょう。私たちの周りにある半導体を内蔵した電化製品やスマホのような実用品の制御は、コンピュータの演算処理によって実現しています。

ところで、なぜ計算が道具を使って実行できるのでしょうか。この疑問に答えるために、子供がおはじきを使って計算を覚える経験を思い返してみましょう。おはじきを使った計算とは、1個のおはじきで数字の1を表したり、10個のおはじきで数字の10を表したりすることで、数字の認識をおはじきの数という物理的状態に対応付けています。数字の認識を物理的状態に対応付けてしまえば、一定のルールにしたがって物理的状態を変化させることで演算が可能となります(演算のルールは「アルゴリズム」と呼ばれます)。

古典的コンピュータも、演算処理を物理的状態に対応付ける点において、おはじきを使った計算と同じ仕組みを共有しています。古典的コンピュータとおはじきの計算が異なるのは、対応付ける物理的状態です。古典的コンピュータにおいては任意の電子回路のスイッチがON(通電)となっている物理的状態を数値の1、OFF(切断)となっているそれを数値の0に対応付けたうえで、1と0を組み合わせてすべての演算処理を実行しています。こうした1と0のみを構成要素とする情報がデジタル情報です。一見すると共通点がないように見える動画の再生や会話AIの返答も、デジタル情報の演算によって実現するという点で共通しています。

量子コンピュータは、古典的コンピュータとは異なる物理的状態を用いて演算処理を実行します。量子コンピュータが用いる物理的状態とは、物質を構成する原子や分子の挙動を体系化した量子力学に関わる現象です。具体的には「重ね合わせ」と「干渉」を用いて演算処理を実行します。

量子コンピュータにおける重ね合わせとは、複数の物理的状態が水面に広がる無数の波のように同時に存在している状態を意味します。そして干渉とは、複数の波が重なり合って新たな波紋を浮かび上がるようにして、特定の物理的状態を特定することです。量子コンピュータは、重ね合わせと干渉を使うことで複数の物理的状態から演算処理の解となる特定の物理的状態を絞り込んでいるのです。

動作原理の違いが、量子コンピュータと古典的コンピュータの演算処理における決定的な違いを生みます。その違いとは古典的コンピュータが逐次的に処理しなければならない複数の物理的状態を、量子コンピュータは一度に処理できるところです。こうした違いは、迷路の脱出ルートを古典的コンピュータと量子コンピュータの双方に探索させると明確になります。古典的コンピュータを使って脱出ルートを探すシンプルかつ確実な方法は、すべてのルートをひとつずつ調べたうえで脱出ルートを特定する、というアプローチです。対して量子コンピュータを使えば可能なルートをすべて重ね合わせたうえで、干渉を用いて脱出ルートだけを取り出せばよいのです。重ね合わせにより選択可能なルートをすべて並行して探索できるので、逐次的処理が生じる古典的コンピュータによる脱出ルート探索に比べて、量子コンピュータによる探索は圧倒的に処理を減らせます(下の画像を参照)。

画像出典:量子コンピュータ読本 第1章「誤解2:量子コンピュータは並列計算するから速くなる?」より引用

迷路の脱出ルート探索でわかるのは、量子コンピュータは古典的コンピュータに比べて処理速度が速いわけではないことです。量子コンピュータの演算処理が速いのは、処理過程が古典的コンピュータより少なくて済むからなのです。

とはいうのも、量子コンピュータはあらゆる演算処理において古典的コンピュータより速いわけではありません。量子コンピュータは、特定の演算処理において古典的コンピュータを凌駕するのです。こうした量子コンピュータの得意な演算に関しては、後述します。

量子コンピュータ実用化を目指す4つのアーキテクチャ

前述のように量子コンピュータは、量子力学における重ね合わせと干渉を使って演算処理を実現します。もっとも、こうした量子力学的現象を実現する機械的な仕組みに関しては、まだひとつに絞り込まれていません。現在、量子コンピュータを実用化できそうなアーキテクチャには超電導回路方式、イオン方式、半導体方式、光方式の4つが知られており、それぞれの特徴は以下の表のようにまとめられます。

量子ビットの表し方

利点

欠点

代表的な採用組織

超電導回路方式 超電導状態の電気回路の2通りの状態 エラー率1%以下
集積化可能
量子ビットが不安定
冷凍機が必要
・Google
・IBM
イオン方式 イオン1個内の電子の軌道への2通りの入り方 エラー率1%以下
量子ビットが安定
一部の演算が低速
真空容器が必要
・IonQ
半導体方式 半導体基板内に閉じ込めた電子1個が持つ磁石の2通りの向き 高密度に集積化可能 エラー率がまだ高い
冷凍機が必要
・Intel
・理化学研究所
光方式 光子1個の2通りの波の振動方向 室温・大気中で動作
演算が高速
エラー率がまだ高い
一部の演算が確率的
・中国科学技術大学
・Xanadu Quantum Technologies
・NTT

GoogleやIBMが採用している超電導回路方式がやや優勢ですが、ほかの3つのアーキテクチャによって量子コンピュータが実用化される可能性も十分にあります。裏を返せば、量子コンピュータ設計における標準的なアーキテクチャはまだ存在しないのです。

標準的なアーキテクチャが存在しないからといって、量子コンピュータの実用化を危ぶむのは早計です。古典的コンピュータの標準的なアーキテクチャであるトランジスタを使った集積回路が誕生するまでには、今日では使われてないようなアーキテクチャが採用されていました。例えば、黎明期のコンピュータとして知られるENIACには電子回路の部品として真空管が採用されており、デバイスのサイズはビルのワンフロアを占めるほどでした。

トランジスタを採用した標準的なアーキテクチャが確立されてからは、古典的コンピュータの性能は「ムーアの法則」で知られるような飛躍的な成長曲線を描くようになりました。ひるがえって量子コンピュータは、まだ古典的コンピュータにおけるENIACのような段階にあります。しかしながら、以上に挙げた4つのアーキテクチャのいずれかが進化して標準的なアーキテクチャが確立されれば、量子コンピュータの性能もムーアの法則で語られるような成長曲線を描くかも知れません。

量子コンピュータが得意な演算

前述のように量子コンピュータは古典的コンピュータと比べて圧倒的に演算処理を減らせる一方で、そうした真価を発揮できるのは得意な処理に限られます。量子コンピュータが得意な処理には以下の表にまとめたようにグローバーの解法、ミクロな化学計算の解法、ショアの解法、そして連立一次方程式の解法などが知られています。

解決するタスクの特徴

計算高速化のポイント

応用タスク

グローバーの解法 無数の検索候補から適切なものを抽出する 重ね合わせて並列処理+干渉で絞り込み ・データベース検索
・組み合わせ最適化問題
ミクロな科学計算の解法 電子の振舞いを正確にシミュレート 量子コンピュータは電子が従う量子力学のルールを自然に表現できる ・機能性材料や薬の開発
ショアの解法 大きな数の素因数分解 重ね合わせと干渉を使った量子フーリエ変換で周期を高速に見つける ・暗号解読
連立一次方程式の解法 連立一次方程式の解を特定 数の足し引きを波の足し引きに置換して計算 ・シミュレーション
・制御
機械学習
・データ分析
・画像処理

以上に挙げたもの以外を知りたい場合は、量子コンピュータが得意とする演算をまとめたウェブサイト「Quantum Algorithm Zoo」を参照するとよいでしょう。こうした演算は現在でも研究されており、今後も増えると考えられます。

量子機械学習を論じるこの記事において注目すべきは、量子コンピュータの応用が想定される事例として、機械学習や画像処理が挙げられるところでしょう。実際、AI業界をリードするGoogleは、すでに量子技術をAIに応用するフレームワークとしてTensorFlow Quantumを提供しています(ただし現在使えるのは、ハイブリッド量子技術)。また、Googleの量子コンピュータ研究を一躍有名にした「世界最速のスーパーコンピュータでも 1 万年かかる計算をわずか 200 秒で実行した」ニュースに関連して、同社のサンダー・ピチャイCEOが発表したブログ記事では、2006年に機械学習の演算を加速する目的で量子コンピュータの研究が始まったと明記されています。Googleの動向からもわかるように、量子コンピュータとAIは親和性が高いのです。

量子コンピュータ市場の成長予測

量子コンピュータは得意な演算において圧倒的な性能を発揮することから、まだ実用化されていないにもかかわらず、市場からは高い評価を受けています。例えば調査会社IDCは2021年11月、世界の量子コンピューティング市場に関する予測を発表しました。その発表によると、同技術に対する顧客支出が2020年の4億1,200万ドルから2027年には86億ドルに増加すると予測され、2021年から2027年までの予測期間における6年間の年平均成長率(CAGR)は50.9%に達すると見込まれています。

また矢野経済研究所は2021年10月、日本国内の量子コンピュータ市場の成長予測を発表しました。その発表によれば、2021年度の同市場の規模は139億4,000万円と見込まれていました(発表当時)。そして、2025年度には550億円、2030年度には2,940億円に達するものと予測されています(以下のグラフを参照)。

画像出典:矢野経済研究所プレスリリース「量子コンピュータ市場に関する調査を実施(2021年)」より

以上のような量子コンピュータ市場の今後数年にわたる右肩上がりの成長予測がある一方で、調査会社Garterは量子コンピュータに関するハイプ・サイクルを発表しました。ハイプ・サイクルとは特定の技術が社会実装される過程を視覚化した図であり、一般に技術が普及する過程では社会からの注目度が浮沈することを表しています。

2021年8月に公開された同社の「先進テクノロジのハイプ・サイクル:2021年」を参照すると、量子コンピュータに関係する「量子ML(量子機械学習)」が主流の技術になるまでに10年以上を要する「黎明期」にプロットされていました(下の図を参照)。量子コンピュータ自体もまだ実用化されていないことから、ハイプ・サイクルにおける黎明期にあると見なすのが適切でしょう。

画像出典:Gartnerプレスリリース「Gartner、「先進テクノロジのハイプ・サイクル:2021年」を発表」

ハイプ・サイクルにもとづけば、量子コンピュータとその関連技術は黎明期を脱すると「過度な期待」のピーク期、そして幻滅期を経て正しい理解に裏付けられた成長期に移行すると考えられます。こうした推移を考慮して現在の量子コンピュータに関する市場予測をとらえ直すと、誤解にもとづいた過大評価が混入している可能性があります。そして、過大評価の反動として量子コンピュータに幻滅する「量子の冬」が訪れるシナリオも想定できるのです。

現在社会実装が進み安定成長期に入っていると考えられるAIの歴史を振り返ると、2度の冬を乗り越えてきたのは周知の通りです。AIでさえ冬の時期があったのですから、今後の量子コンピュータの研究開発において冬が到来することは十分にあり得ることです。しかしながら、かりに「量子の冬」が訪れたとしても、すべての可能性を放棄せずに冷静に動向を見守るのが適切な対応でしょう。

量子コンピュータをめぐる資金の流れと想定応用分野

量子コンピュータには得意な演算があることから、そうした演算によって可能となる応用がすでに想定されており、応用に向けた量子コンピュータの開発競争も進んでいます。以下では、量子コンピュータ開発資金の動向と想定応用分野についてまとめます。

現在は資金調達のフェーズ

調査会社マッキンゼーが2021年12月に発表したレポート記事「量子コンピューティングのユースケースが現実味を帯びてきた ― 知っておくべきこと」によると、量子コンピュータ研究開発はまだ黎明期にあるため、多額の公的資金が投じられています。そうした資金を国別に見ていくと、中国が150億ドルともっとも多く、次いでEUの72億ドル、アメリカの13億ドルと続きます。日本は10億ドルでインドと同等です。EUの公的資金源となっている加盟国はドイツが41.9%ともっとも多く、次に多いのがフランスの28%です(下のグラフを参照)。

なお、後述するようにアメリカにはすでに多数の量子コンピュータ企業が存在しており、こうした企業には公的資金ではなく民間ベンチャーキャピタルのそれが投じられていると考えられます。

マッキンゼー「量子コンピューティングのユースケースが現実味を帯びてきた ― 知っておくべきこと」にもとづいて著者がグラフ作成。グラフの単位は億ドル。

量子コンピュータが応用される4大分野

資金の動向に続いてマッキンゼーのレポートは、量子コンピュータの想定応用分野として化学、製薬、自動車製造、金融を挙げています。具体的には2035年までに化学では1,000~3,000億ドル、製薬では2,000~5,000億ドル、自動車製造では2,200~5,800億ドル、金融では2,800~7,000億ドルの市場価値が生じると予想されています(下のグラフ参照)。

マッキンゼー「量子コンピューティングのユースケースが現実味を帯びてきた ― 知っておくべきこと」にもとづいて著者がグラフ作成。グラフの単位は億ドル。

各応用分野における影響は、以下の表のようにまとめられます。

分野

量子コンピュータ導入の影響

化学 新物質の開発スピードの向上。炭素排出量の抑制に活用できる物質の発明の可能性が高まる。
製薬 新薬の開発スピードの向上。医薬品のサプライチェーンの改善も期待される。
自動車製造 ロボットによる製造工程に関する経路計画の最適化。こうした最適化により、製造コストの削減が見込まれる。
金融 ポートフォリオとリスク管理の最適化。こうした最適化により貸付金の金利が適正な値に設定されて、より多くの資本が市場に解放される。

量子コンピュータ開発の現状

市場評価も高くその応用も想定されている量子コンピュータは、まだ研究開発段階にあり実用化には至っていません。実用化をめぐって、世界各国の企業がしのぎを削っているのが現状です。以下では、量子コンピュータ開発に参入している企業と開発進捗についてまとめます。

開発競争に参加する各国企業

まず日本では2021年9月1日、量子関連の産業・ビジネスの創出を目的とした企業団体「量子技術による新産業創出協議会(英語名はQuantum STrategic industry Alliance for Revolution、通称Q-STAR)」が設立されました。同団体が公開している2022年4月1日付の会員名簿には、15の特別会員、13の法人会員、8の準法人会員、20の賛助会員が名を連ねています。特別会員にはトヨタ自動車株式会社や富士通株式会社が含まれています。

世界に目を転じると、英語版Wikipediaの「量子コンピューティングあるいはコミュニケーションに関わる企業のリスト」(2022年3月21日更新版)に量子コンピュータ開発企業がまとめられています。このリストには世界各国の94の量子コンピュータ関連企業がリストアップされており、国別に見た企業数は以下のグラフのようになります。グラフからわかるようにアメリカが他国を圧倒しており、日本は上位国に属しています。アメリカの量子コンピュータ開発企業にはGoogle、IBM、Microsoftのような大手テック系企業に加えて、2015年に創業したIonQのような量子コンピュータのスタートアップなどがあります。

実用化までの道のり

量子コンピュータをめぐっては「量子コンピュータはいつ実用化されるのか」という疑問がよく聞かれます。この疑問に答えるために言及される指標として、量子ビットがあります。量子ビットとは量子コンピュータにおける演算処理で使われる最小単位のことであり、古典的コンピュータにおけるビットに相当するものです。前出の量子コンピュータ読本によれば、実用に耐えうる量子コンピュータには100万から1億以上の量子ビットが必要となります。しかしながら、後述するように現在開発中の量子コンピュータの量子ビットは最大でも127であり、実用化までの道のりはまだ長いと言えます。

2022年時点で127量子ビットの量子コンピュータが、ムーアの法則に従って性能を向上させた場合、(ムーアの法則を「2年で2倍の性能」と解釈したうえで計算すると)100万量子ビットを超えるのは同法則が14回発動する28年後の2040年になります。こうした思考実験から、量子コンピュータが実用化されるまでには画期的なイノベーションが不可欠なことがうかがえます。

実用的な量子コンピュータの実現まで時間がかかることをふまえて、開発が進められているのが、量子コンピュータと古典的コンピュータを組み合わせたハイブリッド量子コンピュータです(※脚註1)。このコンピュータは量子コンピュータには量子ビットを用いた演算処理だけを担当させ、その他の演算処理は古典的コンピュータが担当するものです。前出のマッキンゼーのレポートは、2030年までには前述した4大応用分野でハイブリッド量子コンピュータが活用されているだろう、と予想しています。

(※脚註1)ハイブリッド量子コンピュータについては、AINOW翻訳記事『量子コンピューティングは機械学習にどのような利益をもたらすか』も参照のこと。

有力企業の開発進捗

現時点までに開発された量子コンピュータの性能は、英語版Wikipediaの「量子プロセッサ一覧」にまとめられています。現在もっとも量子ビットの多い量子コンピュータは、IBMが2021年9月に発表した127量子ビットのIBM Quantum Eagleであり、次いで中国科学技術大学が2020年に発表した76量子ビットのJiuzhang、そしてGoogleが2018年に発表した72量子ビットのBristleconeです。

現在世界1位の量子ビット数を実現したIBMは2020年9月、実用化の目安となる100万量子ビットを超える量子コンピュータの開発に関するロードマップを発表しました。そのロードマップでは、2023年末までに1,000量子ビットを超えるIBM Quantum Condorの開発が掲げられています(下の画像を参照)。この目標を実現した場合、ムーアの法則を上回るペースで量子ビット数が増加することになります。

Googleは2021年5月、10年以内に100万量子ビットの量子コンピュータを開発するロードマップと量子コンピュータの開発拠点となるQuantum AIキャンパスの開設を発表しました。同社のロードマップは「私たちの量子コンピュータへの旅」と題されたウェブページで、美しいビジュアライゼーションを体験しながら確認できます。2021年12月には、物理的な量子ビットよりエラーの少ない論理量子ビットの開発進捗について報告しています。

画像出典:Google「私たちの量子コンピュータへの旅」より

なお、カナダに本社のあるD-Waveは、特定の最適化問題の実行に特化したアニーリング型の量子コンピュータを活用するサービスを展開しています。アニーリング型との対比で、一般的な量子ビットコンピュータはゲート型と呼ばれます。同社が提供するサービスでは5,000を超える量子ビットによる演算が可能ですが、特化型の量子コンピュータであるため、ゲート型と同列に性能を比較するのは適切ではありません。先述した英語版Wikipediaの量子プロセッサ一覧でも、アニーリング型はゲート型と分けて整理されています。

量子機械学習とは何か

以下では、量子機械学習について解説します。同技術は量子コンピュータとAI技術がクロスオーバーすることから、現在さかんに研究されています。

「量子機械学習」が意味すること

量子コンピュータを正しく理解したうえで量子機械学習の意味をとらえ直すと、「圧倒的な演算性能のコンピュータによって実行される機械学習」ではないことがわかるでしょう。量子機械学習とは、量子コンピュータを活用して実行される機械学習と同等に機能するアルゴリズムを意味します。量子コンピュータは古典的コンピュータと動作原理が異なることをふまえれば、古典的コンピュータで動作する機械学習アルゴリズムをそのまま量子コンピュータで実行できないことは自明です。

機械学習を量子コンピュータで実行するには、量子コンピュータで実行できるようにアルゴリズムを移植しなければなりません。機械学習アルゴリズムの量子コンピュータへの移植は、OSやプログラミング言語の違いを考慮する通常の移植とは異なる動作原理をまたぐものとなります。

機械学習アルゴリズムの量子コンピュータへの移植に成功したとしても、移植したアルゴリズムに関して量子コンピュータが古典的コンピュータより優れていることを保証しません。量子機械学習アルゴリズムを考案したとしても、そのアルゴリズムが古典的なそれより速い処理であるとは限らないのです。量子版アルゴリズムを価値あるものにするには、古典的なそれより優れていることを証明する必要があります。こうした証明によって明らかになる古典的アルゴリズムに対する量子版のそれの優位性は、量子超越性と呼ばれます。

量子機械学習の研究開発とは、量子機械学習アルゴリズムの考案に加えて、考案したアルゴリズムの量子超越性を証明する試みと言えます。ただし量子超越性を論じるにあたっては、実際に実用化された量子コンピュータを動作させてアルゴリズムの性能を実測するのは難しいので、理論上の性能にもとづいた証明というアプローチになる傾向があります。

量子機械学習の研究事例

量子機械学習の研究開発をわかりやすく伝えている研究事例として、2021年5月に発表された論文『量子機械学習におけるデータのパワー』があります。同論文では古典的カーネル法に対応する量子アルゴリズムとして量子カーネル法と投影量子カーネル法を考案したうえで、これらの予測性能を比較しました。その結果、特定の条件下(モデルのサイズが大きく、かつ幾何学的差異(※脚註2)が大きい場合)で量子アルゴリズムが古典的アルゴリズムを凌駕することを証明しました(下の画像における右側のグラフ参照)。

最近の量子機械学習の研究動向をまとめた2022年1月発表の論文『量子機械学習のチュートリアル』は、近年注目されている研究分野として量子強化学習に言及しています。この技法は、量子的特性をもつ量子エージェントが環境と相互作用することで目標達成のための最適選択肢を学習する、というものです。量子コンピュータは複数の状態を重ね合わせられるので、強化学習においても複数の環境状態を重ね合わすことで古典的強化学習より効率的に学習できる可能性があります。

2020年5月に発表された論文『量子ディープラーニングの進歩:その概要』は、古典的ディープラーニングの量子的移植に関する研究をまとめています。同論文で言及されている量子ディープラーニングの技法には、量子CNN、ハイブリッドCNN、量子RNNがあります。また、自然言語処理の問題を量子技術によって解決する研究事例も紹介しており、そうした研究にはヘイトスピーチを量子技術によって分類するものが挙げられています。

重ね合わせによって複数の状態を同時に処理できる量子機械学習は、古典的機械学習の特徴である大量のデータを学習したり、所与の環境下で試行錯誤したりするプロセスを大幅に短縮できる可能性があります。さらには、古典的機械学習では解決が困難であった複雑な事象から特徴を抽出することも量子機械学習に期待されています。

(※脚註2)幾何学的差異とは、機械学習モデルにおけるデータポイントの量子機械学習が実行されるヒルベルト空間への埋め込み、さらにはヒルベルト空間から古典的機械学習のデータ空間にデータを戻すデータ投影によって生じるデータポイント間の関係から見た幾何学的な差異を意味する(以下の画像を参照)。幾何学的差異の詳細は、前出の『量子機械学習におけるデータのパワー』を参照。

古典的カーネル法と量子カーネル法における幾何学的差異を説明する画像

画像出典:『量子機械学習におけるデータのパワー』より

量子コンピュータはAGI実現のオルタナティブ?

AI業界が目指している長期的目標のひとつとして、AGI(Artificial General Intelligence:汎用人工知能)の実現が挙げられます。この目標を実現するアプローチのひとつとして、スケーリング仮説があります。この仮説は、現在の機械学習をはじめとした最先端AI技術をスケールアップしていけば、いずれはAGIを実現できるというものです。この仮説の代表的推進者はOpenAIであり、同組織が開発したGPT-3はスケーリング仮説を支持するための重要な事例と言えます(※脚註3)。

AGI実現においてもっとも困難と考えられるのが、意識の工学的実現です。この問題の難しさは、哲学者のチャーマーズが「意識のハード・プロブレム」として定式化しています。

意識の起源に関しては、物理学者のペンローズが意識の発生には量子力学的現象が関わっているとする「量子脳理論」を提唱しています。この理論が正しいとすると、量子力学的特性を欠いた古典的コンピュータ技術をスケールアップしても人工意識を実現できないことになります。

ペンローズが唱えたように人間意識の起源に量子力学的現象が関わっているならば、人工意識は量子コンピュータでこそ実現できる、という仮説を主張できます。この仮説は、暫定的に「量子スケーリング仮説」と表現できるでしょう。

もっとも、人間意識の起源をめぐっては最終的解決をもたらす理論がまだ存在しません。それゆえ、スケーリング仮説が間違っていると断言できませんし、反対に量子スケーリング仮説こそが正しいとも言えません。しかしながら、スケーリング仮説が行き詰った場合、AGI実現におけるプランBとして量子コンピュータをスケールアップして実現する、というオルタナティブがあると言えるのではないでしょうか。

(※脚註3)スケーリング仮説については、AINOW翻訳記事『GPT-4は、GPT-3の500倍となる100兆個のパラメータを持つだろう』を参照のこと。

量子コンピュータと量子機械学習の未来

この記事では量子コンピュータについて多角的に論じたうえで、量子機械学習の最前線を眺望してきました。これまでに論じた内容をふまえて、改めて量子コンピュータと量子機械学習が向かうかも知れない未来を以下に描いてみます。

100万量子ビットを超える実用的な量子コンピュータの実現は、GoogleやIBMのような有力開発企業のロードマップを考慮すると、2020年代には難しいかも知れません。したがって、量子コンピュータの本格的な社会実装が進む「量子の時代」は2030年代になる可能性があります。

しかしながら、ハイブリッド量子コンピュータの活用は今後増えると考えられます。それゆえ、ハイブリッド量子コンピュータを活用した量子機械学習システムのPoCが今後数年以内にさかんになるでしょう。そして、こうしたPoCによって各種量子機械学習の量子超越性が証明されるほど、量子の時代に対する期待が高まっていくことでしょう。

量子コンピュータの実用化は非常に困難なミッションであり、実現までの途上で停滞期を迎えることもあると考えられます。しかしながら、量子コンピュータと量子機械学習がもつポテンシャルを考慮すれば、長期的にその研究開発を見守るのが得策と言えます。同時に量子コンピュータと量子機械学習の動向を継続的にフォローアップすることも肝要でしょう。


記事執筆:吉本 幸記(AINOW「海外トレンド」記事執筆担当、JDLA Deep Learning for GENERAL 2019 #1取得)

編集:おさけん

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