最終更新日:
▼前編記事
「あなたのAIスキルはあなたが思っているよりも価値がない【前編】」
著者のRic Szopa氏は、GoogleにAIエンジニアとして勤務した後に独立して、現在はポーランドでAIソフトウェアを開発するMicroscopeITのCTOを務めています。同氏が英文長文記事メディアMediumに投稿した記事では、AIビジネスにおけるAIスキルの価値を分析したうえで、AIスタートアップが生き残る戦略が解説されています。
AIスキルの習得には高度な数学的知識と最先端の技術動向を理解することが求められることから、AIスキルの保有は一種のステータスとなっています。しかし、同氏はAIスキルの価値は時間の経過とともに低くなると説きます。なぜなら、Googleをはじめとした巨大プラットフォーマーがAI技術を簡単に活用できる環境を急速に整備しているからです。また同氏は、AIモデルの性能はそれを開発するAIスキルよりもモデルが学習するデータに左右されるところが大きいことも指摘します。さらには、仮に何らかのAIスキルによって市場的優位性を築けたとしても、その優位な状況を維持することこそが困難なのです。というのも、AIビジネスの価値の源泉であるデータは、競合他社に奪われる可能性に常にさらされているからです。
以上のようにAIスキルと学習データを考察したうえで、AIスタートアップが生き残るためにはAI技術をてこのように活用するビジネスが望ましいとされます。「AI技術をてこのように活用する」とは、汎用画像認識AIのAPIのようにAI技術単独で価値を創出するのではなく、工場において不良品を検出するAIのように既存のビジネスを効率化したり強化する方向でAI技術を使うことを意味します。AIをてこのように使うことこそが、過度にAIスキルに依存せず、また容易にデータをコピーされることもない頑健なAIビジネスモデルの構築につながるのです。
現在の日本は、まさに多数のAIビジネスが立ち上がっている最中にあります。こうしたなか、AIスキルを過信せず、データの重要性も指摘する本記事の主張は傾聴に値するのではないでしょうか。
以下の後半記事では、AIビジネスにおける市場的優位性を維持する困難さを確認したうえで、「AIをてこのように使う」ビジネスモデルについて提案されます。
AIでは、市場競争上の優位性を維持することが難しい
優れたデータセットを活用したボブはアリスとの競争に勝利し、素晴らしい事業を展開するにいたった。彼女は製品をリリースし、着実に市場シェアを伸ばした。巷では彼女の会社こそ目指すべきところだと喧伝されるので、より良いエンジニアを雇い始められるようにもなった。
Chuck(チャック)はボブに追いつくにはやるべきことがいくらかあるが、彼はボブより資金がある。チャックがデータセットを構築する時には、重要なことがある。データセットの構築に資金を投じたとしても、技術的プロジェクトを加速するのは困難なのだ。実のところ、あまりに多くの新人をプロジェクトに投入するのは、開発の妨げになりかねない。しかしながら、データセットの構築には人員の投入とは違った種類の問題がある。データセットの構築には、通常、多くのヒトによる手作業が必要となる ― そして、より多くのヒトを雇うことによって、データセットをスケールアップすることは容易くできる。あるいは、誰かがデータを持っているということもあり得る ― この場合においてやることと言えば、データセットの所有者にライセンス料を支払うことだ。いずれの場合においても ― カネこそがデータセットの構築を迅速化するのだ。
ところで、なぜチャックはボブより資金を調達することができたのか。
設立者が資金調達ラウンドを起こす時、彼らは潜在的に互いに相反する2つの目的のバランスを取ろうとする。彼らは市場で勝利することができるように十分なカネを集める必要がある。しかし、あまりにも多くのカネを集めることはできない。なぜなら、過度に資金を調達することは過度の希薄化につながるからだ。資金を提供してもらうことで外部投資家を企業経営に引き入れることは、会社の一部を売却することを意味する。そうは言いながらも創業チームは、チームの同志がやる気を失うことのないように、スタートアップへの十分な投資を維持しなければならない(スタートアップを経営するのは大変な仕事なのだ!)。
一方、投資家は大きくなる可能性を秘めたアイデアに投資したいのだが、リスクを管理しなければならない。それゆえリスクが大きくなってきたと認識すると、彼らは投資した企業に1ドル支払うごとに、企業のより大きな部分を要求するようになるだろう。
ボブが資金を調達していた時には、AIが実際に彼女の製品を助けることができると投資家に信じてもらうことは、まさに大きな飛躍を意味していた。創設者としての資質、あるいは創業チームの素晴らしさにかかわらず、彼女が取り組んでいた問題が一筋縄ではいかないことは疑いの余地がなかったのだ。対して、チャックが資金を調達する時の状況はまるで別である。彼は問題が扱いやすいことを知っている。ボブの製品がその確たる証拠なのだ!
チャックとの競争を受けて立つという挑戦に対するボブの潜在的な反応の1つには、別の投資ラウンドを立ち上げることがある。彼女は(さしあたっては)レースをリードしているので、引き続きよいポジションを保つべきである。しかし、レース状況はもっと複雑かも知れない。もしチャックが戦略的提携によって、データを囲い込むことができたとしたらどうだろうか。たとえば、ボブとチャックの競争ということで、がん診断のスタートアップについて話しているとしよう。チャックは彼自身が重要な医療機関と内通しているという地位を利用し、この医療機関と蜜月の契約(※註1)を締結できた。ボブがチャックによるデータの囲い込みに対抗することは、おそらく不可能だろう。
※註1:「蜜月の契約」という字句に貼られたリンクの先では、ニューヨーク・タイムズ誌が2018年9月20日に公開した医療系AIスタートアップのスキャンダルに関する記事を閲覧することができる。
医療系AIスタートアップPaige.AIは、アメリカ有数の癌センターであるMemorial Sloan Kettering Cancer Centerと2,500万人分の癌患者の検査用癌組織の独占的使用に関する契約を締結した。同スタートアップへの出資者には、同癌センターの3人の重役が名を連ねていた。この事実がニューヨーク・タイムズとNPOの捜査ジャーナリズム機関ProPublicaによって曝露されて、スキャンダルとなった。
以上の曝露における問題点はふたつある。ひとつめは、匿名化するとは言え、癌患者の癌組織というプライバシーの高いデータを営利目的で独占的に利用することに関する倫理的問題である。ふたつめは、上記癌センターが長年にわたって蓄積した病理学的データから生じる経済的利益を、実質的に3人の重役が独占することになるコーポレートガバナンスに関わる問題である。上記AIスタートアップは、癌組織データを学習データとして癌診断AIを開発することが可能なのだが、このAIから得られる利益は同スタートアップの株から生じる配当金として件の3人の重役に渡ることになる。
それでは、AI製品に関して維持可能な市場競争上の優位性を構築するためには、一体どうすればよいのか。しばらく前に、私はMicrosoft ResearchのAntonio Criminisiと話すという嬉しい機会を得た。件の問題に対する彼の考えは、プロジェクトの秘密の源はAI だけで構成されるべきではない、というものだ。例えば彼のInnerEyeプロジェクトでは、放射線画像を分析するためにAI と古典的な(機械学習ベースではない)画像認識を活用していた。彼が言うようなAIと伝統的な技術を組み合わせるというアイデアは、AIスタートアップを立ち上げてAI市場に一番乗りする動機と部分的に矛盾するかも知れない。AIモデルにデータを投げ込んだら、AIがデータを分析するのを見ていれば良いという彼のプロジェクトが実現した技能は非常に魅力的である。しかしながら、彼のプロジェクトで使われている伝統的なソフトウェア・コンポーネントを活用するにはプログラマーがアルゴリズムを考え、身につけるのに苦労する専門特化した知識を使うことが求められる。それゆえ、こうした伝統的ソフトウェア・コンポーネントを活用することは、簡単には真似できない。
AIのベストユースとはてこのように使うこと
ビジネスを分類する方法のひとつとして、そのビジネスが直接的に価値を付加するのか、あるいは他の価値の源にてこ入れを提供するのか、というものがある。例としてeコマース会社を取り上げてみよう。新しい製品ラインを作成した場合は、直接価値を追加したことになる。新製品ラインを作ることでかつては何もなかったのに、今では売れ筋商品があり、そして顧客はその商品に代金を払うことができる。一方、新しい流通チャネルを確立することはてこに当たる。Amazonで売れ筋商品の販売を開始することで、販売量を2倍にすることができる。コスト削減もてこに相当する。中国の製品サプライヤとより良い取引条件で交渉すれば、売上総利益を2倍にすることもできる。
てことは、直接的なちからの行使というよりは針を動かすことができる潜在的なちからのようなものだ。そうは言っても、てこは直接価値の源泉と結びついているときにのみ機能する。(1よりも小さい)小さい値は、2倍や3倍にしても1より小さくなることを止めない。同様に販売する売れ筋製品を持っていない場合は、新しい流通チャネルを獲得しようとしても時間の無駄でしかない。
以上のようなてこの仕組みの有無によってビジネスを分類する観点から、AIをどのように見るべきなのか。AIを直接的な自社製品にしようとする多くの企業がある(そうした製品には画像認識のためのAPIやそれに類するものがある)。こうしたビジネスをAIの専門家が見れば、非常に魅力的かも知れない。しかし、このAIビジネスは、端的に言えば悪いアイデアだ。このアイデアの良くない第一の点は、GoogleやAmazonのような企業と競合してしまうことにある。第二の良くない点は、本当に使える汎用的AI製品を作ることは狂おしいまでに難しいのだ。汎用的AI製品開発の難しさがわかる例えとして、私はいつもGoogleのVision APIを使いたかった、というものがある。しかし残念なことに、Vision APIを提供することによってニーズを十分に満たされた顧客に巡り合ったことはない。汎用的AI製品なるものはいつも多すぎるか少なすぎるかのどちらかであり、それを使ったソリューションは丸い穴に四角い留め金を入れようとするものだ。そんなことより顧客ごとにカスタマイズした開発のほうがずっとましだ。
AIビジネスにおいてもっと良い選択肢は、AIをてことして扱うことである。つまり、すでに存在していてうまく行っているビジネスモデルを採用したうえで、そのビジネスをAIを使ってブーストすることができるのだ。例えば社内にヒトの認知的労働に依存しているプロセスがあるならば、そのプロセスを自動化することで売上総利益が驚異的に伸びるだろう。AIによってブーストできる業務としてわたしが考えられるほかの事例には心電図分析、工業検査、衛星画像分析といったものがる。こうした事例において興味深いところは、AIがバックエンドに留まっているので、市場競争上の優位性を構築し維持するためにAIに頼らないという選択肢もあることだ。
結論
AIは真に変革的な技術である。しかしながら、AIを基幹業務としてスタートアップを立ち上げることは非常に難しいビジネスでもある。AIビジネスにおいては、AIスキルだけに依存すべきではない。なぜなら、AIスキルはそれを内包するAI市場の動向によってその価値が下がっていくからだ。AIモデルの構築は非常に興味深いことかも知れないが、本当に重要なことは競合他社より良いデータを持つことだ。また、市場競争上の優位性を維持することは困難である。とりわけ競合他社が自社より金持ちである場合は一層そうである。こうした状況は、あるAIアイデアを実現したばかりのスタートアップによく起こるだろう。生き残るには競合他社が簡単には真似できない拡張可能なデータ収集プロセスを作ることに注力すべきなのだ。また、AIは能力の低いヒトによる認知的労働に頼った産業を解体することに非常に向いている。というのも、AIはこうした認知的労働を自動化できるのだから。
原文
『Your AI skills are worth less than you think』
著者
Ric Szopa
翻訳
吉本幸記
編集
おざけん