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新しいユーザ・インタフェースとして2016年頃から流行しはじめたチャットボットは、多くの誤解と誤用にさらされた結果、当初期待されていたいたほどの成果をあげられませんでした。こうした失望は、新しいテクノロジーの誕生当初には過度に期待されがちであることに起因しており、チャットボットもその例外ではありません。しかし、チャットボットの根幹を成す会話AIの進化は続いており、長期的予測ではチャットボットは間違いなく社会に良い変化をもたらすはずなのです。
かつて、こんなヘッドラインが拡散していた。
…2016年のボットをめぐるパラダイムシフトはまさに破壊的かつ興味深いものであり、先の10年間で起こったウェブからモバイルアプリへの移行を凌ぐものである
チャットボットは次にくる大きなモノだったのだ。
われわれのチャットボットに抱く希望は青天井であった。ついに産業は、新しい変革の時代に眼を見開き、視界が広がったのだ。その変革とは、機械とソーシャルな関係になり始めることだ。
なぜチャットボットをしないのか?チャットボットへと続く道のすべてが、常識はずれな成功を指し示しているのだ。
メッセージングアプリ市場は巨大だ!対話マーケティングは新しい熱狂的なバズワードだ!中国ではWeChatだ!
さらに、チャットボットの波が実装するのが厄介な複雑なアプリに達した時には、供給は需要を大きく上回っていた。
モバイル・ワールド・コングレス※(MWC)2017において、チャットボットはまさにセンターをはるスターだった。こうしたトレンドに関して、会議主催者は「ブランドと企業がチャットボットに焦点を当てるという不可避的な移行を示すイベントには抵抗できないので容認する」と述べたのだった。
実のところ、チャットボットをめぐる意義のある疑問は誰がチャットボット市場を独占するかであり、チャットボット市場が初期段階から離陸していたかどうか、ではなかった。
ところで、チャットボットとパーソナルアシスタントのエコシステムを独占するような単一のプラットフォームは現れたか?
MWC2017から1年経って、われわれはこの疑問に対する答えを持っている。
答えは、ノーだ。
なぜなら、チャットボット市場を独占するようなエコシステムなどないからだ。
別のハイプサイクルにだまされる
チャットボットは大げさに語られるような最初の技術開発ではなかったし、案の定ものも見事につまづいた。
昔ながらのハイプサイクル※が、チャットボットという親しまれているトレンドでも展開されたのだった…。
尊敬すべきTechCrunchの記事にはチャットボットについて書かれたものがあった。
チャットボットの指導的論客には、Chris Messina氏のような預言者のごときヒトがそろっていた。
メッセージアプリにはボットがあふれ出した。
Slackは指数関数的な成長を果たし、ボットに投資するファンドも現れた。
チャットボットへの期待はどんどん膨らんだ……そして、そんな期待は忽然と消えた。
予期されていたようなパラダイムシフトは実現しなかった。
そして、かつての隆盛を物語るチャットボットアプリだけが残された。
こうしてわれわれはチャットボットに関する楽観論が死に絶えたことを見届け、お互いに顔を合わせながら、一抹の挫折を味わったのだ。
「いったいどういうことだ。チャットボットによる革命はわれわれに約束されていたのではなかったか?」
貯蓄アプリ「Digit」※を開発したEthan Bloch氏は、こうしたチャットボットに関する全般的な理解を以下のようにまとめた。
わたしは「チャットボットは死んだ」と言えるかどうかについてまだ確信が持てない。なぜなら、わたしはチャットボットがかつて生きていたかどうかも知らないからだ。
ソフトウェア開発会社Heapの製品デザイン部門のヴァイス・プレジデントであるDave Feldman氏によれば、チャットボットはあるひとつの難しい問題に取り組んでいないので、その問題を解決することに失敗しているのだ。そして、そうした難しい問題は実は複数あり、それらの解決にことごとく失敗している。
テキストVS 発話 VS GUI:その簡略化した歴史
ボットは様々な仕方でユーザと相互作用できる。そうした相互作用の仕方は、テキストか発話で大別される。(コンピュータ・インタフェースの)始まりは(書かれたものとしての)単語であった。
ユーザは何をするにしてもコンピュータに対してコマンドを手入力しなければならなかった。
それからグラフィカル・ユーザ・インタフェース(GUI)がやって来て、コマンド入力の日々からわれわれを救った。われわれはウィンドウ、マウスクリック、そしてアイコンといったものにうっとりするようになった。そして、もちろん、こうしたインタフェースはついにカラーになった!
GUIにインタフェースが進化していた一方で、研究所にいる科学者のある一団は、自然言語によるデータベースとの相互作用を忙しなく開発していた。この相互作用は、難解なデータベース問い合わせ言語を学習しなければならないことの代わりとなることを目指していた。
また別の科学者の一団は、コンピュータにコマンド入力するのではなく話しかけられるようにするために音声処理ソフトウェアを開発していた。この研究は、当初に考えられていたよりもずっと難しいことがわかったきた。そうした難しさとは以下のようなものだ。
…様々な口調があるなかで、ヒトビトの話し方は早すぎたり遅すぎたり、口ごもったりする。
“recognise speech”と言ったのか、それとも”wreck a nice beach”といったのか?※
ユーザ・インタフェースの歴史を振り返るうえで次に見る項目は、機械との双方的な対話である。以下が(1990年代までさかのぼる)VCRセットアップ・システムとの対話の事例だ。
ユーザ:「こんにちは」
コンピュータ・エージェント(以下、エージェントと略記):「こんにちは。あなたの名前は?」
ユーザ:「キャンディです」
エージェント:「こんにちは。キャンディ!」
ユーザ:「時計をセットして」
エージェント:「何時にセットしますか」
ユーザ:「時刻を午前11時にセットして」
エージェントは時計の時刻を午前11時にセットする
こうした対話は、とてもクールではなかろうか。以上のコンピュータ・システムはヒトとコンピュータがコラボレーションする方法に変革をもたらした。このシステムはユーザが望んでいることを理解するというクールな仕事を実行するのだ。
もっともVCRシステムとの対話は注意深く設計されており、厳格な制限のもとにおいてのみ制御できるものであった。
今日のボットもまた、それが文字入力であれ音声入力であれ、かつて研究されてきた音声処理ソフトウェアや対話システムが挑んできた問題に直面しなければならない。とはいうものも、今日のボットは様々なプラットフォームを使うことでかつてよりは効率的かつ拡張的に動作する。
基本的には、われわれは30年前に起こったイノベーションと同じものをいまだに実現しようとしているのだ。
コンピュータとの自然な相互作用がいまだ実現していないことこそが、わたしがチャットボットがうまくいっていないと考える要因である。
ボット VS アプリという観点から考える
アプリとはもう「終わってしまった」ものであり、ボットに置き換わっていくだろうというやや大げさな仮説があった。
しかし、(アプリとボットとは、使われているデザインは異なるが様々な目的を遂行するのに役立つものという意味では同じであると見る代わりに)アプリとボットは互いに全く関係のない概念ととらえて、これらふたつを峻別すると、われわれはアプリにとって代わるものとしてのボットを開発しようとは思わなくなったのだ。
ところで、読者のなかには10年前にアプリが初めて世に現れた時、雄たけびを上げるかのような勢いがあったことを覚えているヒトがいるかも知れない。しかし、アプリがインターネットにとって代わった時など覚えているだろうか。
一般に新しい製品あるいはサービスというものは次のうちのふたつ以上を満たしている必要がある。既存の製品あるいはサービスよりよい良いか、より安いか、あるいはより速いか、である。チャットボットはアプリより安いか速いだろうか。答えは否である。少なくとも現時点では。
チャットボットがアプリより「良い」かどうかは主観的な問題ではあるが、わたしが思うに公平を期せば、今日最良のボットは今日最良のアプリには敵わない。
さらには、Lyft※を使うときに複雑すぎると考えるヒトは誰もいないし、食べ物や衣服をアプリから注文するのは難しすぎるなんてこともない。こうしたことをボットを使って実行しようとしたら、複雑すぎるのだ。そして、この複雑さこそがボットが失敗してしまっていることなのだ。
すばらしいボットは平均的なアプリと同じくらい役に立つ。しかし、リッチで洗練されており、複数のレイヤーを実装しているようなアプリと比べてたら、とても敵わない。
このようにチャットボットよりアプリが優れている理由として考えられるのは、アプリをインストールした機械はヒトに大量かつ複雑な情報システムにアクセスすることを可能とし、アプリに採用されているグラフィカルな情報システムは、発明された当初からヒトがこのシステムを手放せなくなることを仕向けるほどに革命的な跳躍であったからだ。
今日のアプリは、何十年にも及ぶGUIに関する研究と実験の恩恵に浴しているのだ。こうしたGUIアプリをどうして放棄することができようか?
しかし、もしこれまでチャットボットとアプリの比較を論じる議論で使ってきた「とって代わる」を「拡張する」に言い換えたとしたら、非常に興味深いことが起きる。
今日のもっとも成功しているチャットボット体験はハイブリットなアプローチを採用している。つまり、チャットのUIの周りに伝統的な要素をおくというより幅のある戦略を採っているのだ。
- ァイナンスアプリPennyは、伝統的なアカウント・ダッシュボードとトランザクション・リストの周りにチャット形式のアドバイスや警告を出している(上の画像参照)。
- (CRMソフトウェアHubSpotの追加機能である)HubSpot Conversationsは、Facebook Messenger、サイト内のチャット、ソーシャルメディア、Eメール、そしてその他のメッセージングアプリのメッセージを単一の共有受信箱に統合している。
- CRMアプリのLayerは開発者にモバイルアプリにおけるパーソナライズされたメッセージング体験を作ることができるツールを提供しているのだが、デスクトップアプリに関してもモバイルアプリと同様なメッセージング体験を作ることができる。
アプリの次の波はマルチモーダルなアプリである。このアプリにおいては、ユーザは(Siriに対してするように)望んでいることを話し、地図、テキスト、さらには音声による返答を情報として返してもらうのだ。
(後半に続く…)
原文
『Chatbots were the next big thing: what happened?』
著者
Justin Lee
翻訳
吉本幸記
編集
おざけん