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カーツワイルの「GNR」論には、なぜ「I」(情報科学・情報工学)が含まれていないのでしょうか?
連載初回の本記事では、まず最初に、カーツワイル氏が唱えた「GNR」論・「シンギュラリティ」論を紹介します。
目次
- レイ・カーツワイルの「GNR」論とは?
- 人間の頭脳を超えた知的情報処理を担うナノ・サイズの計算機が、人間の体内・脳内から、宇宙空間の全域を満たす世界
- どのような光景が出現しうるのか?
- 人間 vs. 人間の知性レベルを凌駕するAIロボット、という筋書きではない
- 人間(「生物的な知能」)が「非生物的な知能」を取り込むことで、より強く、より自由になる
- ハードウェア(計算機)とソフトウェア(アルゴリズム)の両面で計算機科学が発展することで、「シンギュラリティ」前後の状況が実現される
- 生体ニューロンと双方向の通信が可能な(人工)電子デバイスも実現可能と論じている
- NGR技術は、そこから先の社会の光景を予見するのが困難である時代の断絶点(=「特異点」。シンギュラリティ)に行き着く
- その歴史観:すべては、「生き延びる」力の向上のために
- 根本にあるテーマ:歴史とは、「生き延びる力の向上」を追い求める「秩序」増大の軌跡である
- 2045年頃:「人間」的な要素を宿した「人間を超える知性体」の力を借りて、「人間」が「生き延びる」力は、さらに「強化」される
- 「NGR」のうち、最も重要なのは「R」である
- 「R」は、「ロボット工学」と「強いAI」という2つの意味内容を含んでいる
- 「R」と「N」は、相互に相手を高めあいながら進歩していく
- しかし、GNR論では、「強いAI」が「ナノテクノロジー」を進化させる道筋が主題的に描かれていない。
- (非生物的知能を取り込んだ)人間は、「意思」をもって、宇宙の進化の方向に介入し、物理法則を利用することで、宇宙の発展の道筋を「決定する」存在になる
- 宇宙の目的、そして、人生の目的
- (再掲)GNR論では「強いAI」が、「遺伝学」と「ナノテクノロジー」と「ロボット工学」を進化させる道筋が主題的に描かれていない。
- 「シンギュラリティ」の負の側面と、政策論としての対処策
レイ・カーツワイルの「GNR」論とは?
「G」・「N」・「R」の頭文字を(それぞれ)もつ3つの技術—「遺伝子編集技術」と「ナノテクノロジー」と「ロボット工学技術」—によって、私たちが暮らす社会の構造と、人々の宇宙観・世界観・人生観・社会観は、今後、決定的な飛躍の年である「2045年(頃)」に向けて、根底から地殻変動を起こして、大きく様変わりしていく—。
そのような近未来社会へのロードマップ(展望)を提示している「未来論」があります。
その「未来論」は、カーツワイル氏の「GNR」論・「シンギュラリティ」論として知られているものです。
上記の「GNR」論は、米国の未来学者であり、発明家・起業家であるレイ・カーツワイル氏(Ray Kurzweil, 1948年2月12日~)によって、2005年に提案されました。
人間の頭脳を超えた知的情報処理を担うナノ・サイズの計算機が、人間の体内・脳内から、宇宙空間の全域を満たす世界
この「GNR」論(「シンギュラリティ」論)は、ナノ・サイズの計算機が、人間の「脳」が行っている知的情報処理を遥かに上回る高度な「知的情報処理」を担うことができるようになるだろうという予測を提出しています。
そして、そのような驚異的な能力を秘めた原子スケールのナノ・サイズのスーパーコンピューターは、近未来のナノテクノロジーを駆使することで、自分と同じか、自分よりも優れた能力を持つ「ナノ・サイズのスーパーコンピューター」を、自発的に自己複製していく結果、無限個に近い個数(しかし、有限な数だけ)の極小スーパーコンピューターが、安い経済コストで、人間の体内・脳内から、宇宙空間の全域まで、至るところを埋め尽くして、すべての空間を満たす時代がやってくると述べています。
どのような光景が出現しうるのか?
そのような近未来では、以下のようなことが可能となっている光景が、あたりまえの日常風景として出現しているだろうと、「NGR」論(「シンギュラリティ」論)は論じています。
以下、カーツワイル氏の著書 Singularity is Near (邦訳『ポスト・ヒューマン誕生』NHK出版)第6章「衝撃・・・・・・」冒頭の383〜384ページ目では、次のような文章が掲載されています。(以下、同書より引用。なお、適宜、原文には存在しない改行や太字を加えた)
特異点(シンギュラリティ)が近くにつれて、人間生活の本質について考え直し、社会制度を再設計しなくてはならなくなるだろう。本章では、このような考えや制度のいくつかを探ることとする。
たとえば、G(遺伝学)とN(ナノテクノロジー)とR(ロボット工学)の革命が絡み合って進むことにより、バージョン1.0の虚弱な人体は、遥かに丈夫で有能なバージョン2.0へと変化するだろう。
何十億ものナノボットが血流に乗って体内や脳内をかけめぐるようになる。体内で、それらは病原体を破壊し、DNAエラーを修復し、毒素を排除し、他にも健康増進につながる多くの仕事をやってのける。
その結果、われわれは老化することなく永遠に生きられるようになるはずだ。
脳内では、広範囲に分散したナノボットが生体ニューロンと互いに作用し合うだろう。それはあらゆる感覚を統合し、また神経系をとおしてわれわれの感情も相互作用させ、完全没入型のヴァーチャル・リアリティを作り上げる。さらに重要なのは、生物的思考とわれわれが作りだす非生物的知能がこのように密接につながることによって、人間の知能が大いに拡大することだ。
戦争では電脳兵器と、ナノボット・ベースの兵器が主流を占めるようになる。
学習は、まずはコンピュータとの直結が図られ、いったん脳がオンライン化されると、新しい知識や技術をダウンロードできるようになる。
仕事の意義は、音楽や芸術から数学、科学まで、あらゆる種類の知識の創造に向けられる。
遊びの意義は、こちらも知識を生み出すところにあり、仕事と遊びにはっきりとした区別はなくなるだろう。
地球をとりまく知能は急速に拡大し続け、やがてインテリジェント・コンピューティングを支える物質やエネルギーは限界に達する。
銀河系の片隅でこの限界に近づくと、人間文明の知能は宇宙のより広い世界に向かって、拡大していき、ただちに最高速度に到達するだろう。その速度は、光の速さだと考えられているが、そうした限界もくぐりぬけられるかもしれない(例えば、ワームホールをとおって近道をするなど)。
人間 vs. 人間の知性レベルを凌駕するAIロボット、という筋書きではない
上記の引用箇所で注目しなければならないのは、以下の箇所です。
さらに重要なのは、生物的思考とわれわれが作りだす非生物的知能がこのように密接につながることによって、人間の知能が大いに拡大することだ。
カーツワイル氏が唱える「NGR」論(および「シンギュラリティ」論)では、以下のプロセスが同時並行的にゆっくりと進行していくことで、私たちがもともともっていた「生物的」な「肉体」や「知性」と、私たちがテクノロジーによって人為的に生み出した(人工的・)「非生物的」な「肉体」と「知性」とが融合しあい、両者の垣根が失われていくという展望を提示しています。
人間(「生物的な知能」)が「非生物的な知能」を取り込むことで、より強く、より自由になる
つまり、人間 vs. 人工知能ロボットという構図ではなく、人間が「人工知能機械」を取り込むことで、「サイボーグ化」されていくというシナリオです。
- 人間自身が、「脳の内部空間」を含む「体内」に秀でた知性を内蔵した極小スケールの「ナノ・ボット」を無数に取り込む
- 人間の血液や筋肉細胞やニューロンが、人工的な素材でできた代替品と置き換えられる
その結果、人間は以下を獲得すると予想されています。
- 知能の拡張(強化)
- 他者との知識・経験の瞬間共有(ダウンロード)
- 不老不死の獲得(健康寿命の永久化)
- 肉体の若返りの実現
- 1つの体への帰属・束縛からの解放: 生物的物質または非生物的物質で構成された(現実空間内の)任意の「肉体」、(仮想空間内の)任意の「バーチャル肉体」に切り替えた、運動・経験・学習を積むことが可能になる
- 任意の状況・任意の感覚(感情)の経験:任意のバーチャル世界で、(現実と同じ質感の)任意の感覚・感情を体験できるようになる
以下、上記を具体的に見ていきます。
バージョン2.0の体では、心臓も肺も赤血球・白血球も血小板も不要になる
このうち、
- 人間自身が、「脳の内部空間」を含む「体内」に秀でた知性を内蔵した極小スケールの「ナノ・ボット」を無数に取り込む
という現象の一例として、たとえば393~394ページ目では、次のような未来像が描写されています。
人工心臓への交換も実現し始めているが、もっと有効な方法は、心臓を完全に取り除くことだろう。
フレイタスが設計したもののひとつに、自力運動性のナノロボット血球がある。血液が自動的に流れるのであれば、1点集中のポンプにひじょうに強い圧力が求められるという技術上の問題は解消される。
ナノロボットを血液中に出し入れする方法が完成されるにしたがい、やがてはナノロボットと血液をすっかり取り替えられるようになるだろう。フレイタスは500兆のナノロボットからなる複雑なシステム「ヴァスキュロイド」の設計についても発表したが、それは人間の全血流の代わりになるもので、流動することなく必須の栄養や細胞を体の各所に届けられる。
肉体に必要なエネルギーもまた、超小型の燃料電池により供給される。その際に用いられるのは、水素か人体内の燃料であるATP(アデノシン3リン酸)だ。前章で述べたように、MEMSスケールとナノ・スケールの燃料電池は近年、かなり進歩をとげており、そのいくつかは体内のブドウ糖とATPエネルギー資源を活用するものだ。
レスピロサイトによって酸素運搬能力が大幅に向上し、ナノボットに酸素の供給と二酸化炭素の除去を任せられるようになれば、肺がなくても生きていけるようになるだろう。
(中略)
やがて、血液やその他の代謝経路を流れる化学物質、ホルモン、酵素などを作りだす臓器も不要になる。いまやこれらの物質の多くについて、生体とまったく同じものを合成できるようになっている。10年か20年のうちには生化学的な関連物質の大半を日常的に作りだせるようになるだろう。
すでに人工の内分泌器官は作られている。たとえば、ローレンス・リヴァモア国立研究所とカリフォルニアに拠点を置くメドトロニック・メニメド社は、皮下に埋め込む人工秘蔵の開発を行っている。それはコンピュータ・プログラムを用い、生体の膵島細胞と同じように、血中のブドウ糖濃度をモニターし、正確の量のインシュリンを投与する。
バージョン2.0の人体では、ホルモンと関連物質(まだ必要とされる限りの)は、ナノボット経由で運ばれ、知的なバイオフィードバック・システムによって必要な濃度を維持しバランスを保つようにコントロールされる。とはいえ、われわれの生体器官の大半は除去されることになるので、これらの物質の多くはもはや不要となり、その代わり、ナノロボットシステムにとって必要な物資を体内に流すようになるだろう。
以上が、人体が「バージョン3.0」になる前の「バージョン2.0」で実現されるであろと、NGR論が予想する近未来の光景です。
また、398ページ目では、次のような文章が掲載されています。
バージョン2.0の人体にはさまざまなバリエーションがあり、器官と体のシステムはそれぞれ独自の発展と改良の道をたどることになる。
生物進化がもたらすのは、いわゆる「局所的最適化」だけだ。
つまり、改良できるのは、生物がはるか昔に到達した設計上の「決定」の範囲内に限られるのだ。
たとえば、生物進化では、ひじょうに限られた材料–すなわち、タンパク質からあらゆる部分を作らなくてはらない。 タンパク質は1元的なアミノ酸配列が折りたたまれてできている。
また、思考プロセス(パターン認識、論理分析、技能形成、その他の認知スキル)は、きわめて時間のかかる化学的スイッチングによるしかない。
そして生物の進化そのものはひじょうにゆっくりと進み、これらの基本概念の範囲内でのみ改良を続けていく。
急激な変化、たとえば、組織スがナノチューブベースの論理スイッチングになったりという変化はありえない。
しかし、この逃れようのない制約の中にも道はある。 生物の進化は、思考し環境を操作できる種を生みだしたのだ。
その種は今やみずからのデザインにアクセスすること-ひいては改良すること–に成功しつつあり、生物の根本教義を再考し作り替えることを可能にしている。
こうした光景は、今後急速に進歩する「G」(遺伝子編集技術、遺伝子工学)と「N」(ナノ・テクノロジー)の技術によって、可能になると述べられています。
感情と深く結びついた「心臓の鼓動のリズム感」は、感情を維持するためだけに残される可能性もあるか・・・
他方で、臓器感覚がなくなったら、わたしたちの感情の体感内容にどのような影響が現れのかが、小野寺には気がかりです。
それというのも、心臓は、「胸のときめき」や、怒りに震えたときや驚いたときにぐっと強まる心臓の拍動など、私たちが日々の暮らしのなかで体感する様々な感情と、(私たちの意識のなかで)、深く結びついているからです。
カーツワイル氏は、上記の引用部分(394ページ目)で、「レスピロサイトによって酸素運搬応力が大幅に向上し、(中略)肺がなくても生きていけるようになる」ため、生命活動を維持するためには「呼吸」をする必要がなくなった場合でも、「もしも呼吸自体が快感だというのであれば、その感覚を再現するヴァーチャルな方法を開発すればいい」と述べています。
ここでいう「ヴァーチャル」とは、(脳内にいる)ナノボットが脳内神経を刺激したり、「量子ドット」技術を用いた「光伝導性(光に反応する)半導体材料である結晶を含む小型チップ」(396ページ目)を用いて「特定のニューロン」を「活性化させる際、(中略)適正な波長の光を宛てて遠隔操作できるようになる」ことによって、バーチャル・リアリティのような主観的な体感(経験)を生じさせる方法を指しています。
心臓についても、「胸のときめき」や、怒りに震えたときや驚いたときにぐっと強まる心臓の拍動を、(赤血球ナノボットが脳神経の電磁パルスの怒りパターンをセンサでとらえた瞬間に)バーチャルな体験として生じさせることで、私たち人類がその長い歴史のなかで親しんできた「感情」と「心臓の鼓動の感覚」との結びつきを断ち切らずに維持するという方策が、必要となるのかもしれません。
肉体の不老・不死が実現する
『ポスト・ヒューマン誕生』の416~418ページは、次のように綴られています。
本書の読者の多くは、生きているうちに特異点を迎えることになりそうだ。
先の章で見てきたように、バイオテクノロジーの進歩は加速しつつあり、遺伝子や代謝プロセスをプログラムし直して病気や老化を克服できるようになるだろう。
この進歩には、ゲノミクス(遺伝子操作)、プロテオミクス(タンパク質の役割の理解と操作)、遺伝子治療(RNA干渉などのテクノロジーによる遺伝子発現の抑制、新しい遺伝子の細胞核への導入)、合理的な薬の設計(病気や老化による体変化そのものに狙いを絞った薬物設計)、細胞や組織、器官を若返らせる治療的クローニング(細胞分裂を継続させるテロメアの寿命の伸長とDNA修復)およびその関連分野の急速な進歩が含まれる。
バイオテクノロジーは生物学の範囲を広げ、生物的過程の明らかな欠陥を正すだろう。それに重なるナノテクノロジー革命は、けっして超えられなかった生物的限界の超越を可能にしてくれる。
テリー·グロスマンとわたしが「素晴らしい未来への航海』で明記したように、われわれは、体や脳と呼んでいるこの「家」を無期限に維持し拡張していく知識と道具を急速に手に入れつつある。
不幸なことに、わたしと同じベビーブーマーの大半は疑うことなく、病気や死を、先人も歩んできた「あたりまえの」人生の経過として受け入れようとしている–もしも積極的に行動を起こし、基本的な健康的生活様式についての既成概念を超越すれば、それは避けられるのだが。
歴史上、人間が寿命という限界を超えて生き続ける唯一の手だては、その価値観や信仰や知識を将来の世代に伝えることだった。
今、われわれは存在の基盤となるパターンのストックが保存できるようになるという意味で、パラダイム·シフトを迎えつつある。
人間の平均寿命は着実に伸びており,やがてその伸長はさらに加速するだろう。
現在,生命と病の根底にある情報プロセスのリバースエジニアリングが始まったところだ。
ロバート·フレイタスは、老化や病気のうち、医学的 予防可能な症状の50パーセントを実際に予防すれば、平均寿命は150年を超えるだろうと予測する。さらに、そういった
問題の90パーセントを予防すれば、平均寿命は500年を超える。99パーセントならば、1000年以上生きることになるだろう。
バイオテクノロジーとナノテクノロジーの革命が完全に現実のものになれば、実質的にはあらゆる医学的原因による死をなくすことができると予想される。
肉体の若返りも可能になる
324ページでは、以下のやりとりの形式で、「肉体の若返り」が可能となることが綴られています。
レイ ナノボットは血液中を移動できる。だから細胞の内部や周辺まで行っていろんな仕事をこなせるんだ。
毒物を除去したり、老廃物を一掃したり、DNAエラーを修正したり、細胞膜を修復·再生したり、アテローム性動脈硬化を治したり、ホルモンや神経伝達物質などの代謝性化学物質のレベルを調整したり、ありとあらゆる仕事をしてくれる。
老化のそれぞれのプロセスは、ナノボットを用いて個々の細胞から、細胞の構成要素、そして分子へと下って作用させれば逆転できる。
モリー2007 じゃあ、わたしは永遠に若いままなのね。
レイ そういうこと。
この肉体の「若返り」、すなわち、「老化の逆転」を実現を可能にするであろう(とカーツワイル氏が見ている)技術については、268ぺージ以降で取り上げられています。
そこでは、まず老化現象とその逆転の可能性について、「老化は単独のプロセスではなく、複数の変化によるものだ。デ・グレイは老化を促す以下の6つのプロセスをあげ、それぞれに対抗する戦略を述べている。」(268ぺージ)と述べています。
以下にその「6つのプロセス」を列挙します。なお、それぞれの「老化を促すプロセス」の横に括弧書きで、「対抗する戦略」を記載しました。
- DNAの変異(問題となる遺伝子の除去または抑制)
- 毒性細胞(「自殺遺伝子」を送り込むなどの方法で、細胞を殺す)
- ミトコンドリアの変異(変異発生前の遺伝子をバックアップとしてコピーし、細胞核に挿入する)
- 細胞内凝集体(危険物質を破壊するタンパク質を生み出す遺伝子を導入する。ワクチンを用いる)
- 細胞外凝集体(ALT-711という薬によって、問題を引き起こすAGEを分解する)
- 細胞喪失・萎縮(消耗した細胞を、クローン技術で複製した新しい細胞と取り替える)
なお、ここで引用されているデ・グレイ氏とは、「ケンブリッジ大学遺伝学科の科学者、オーブリー・デ・グレイ」(258ぺージ)です。同氏には、以下の著作があります。以下はその邦訳書です。
また、Wired誌の記事(日本語版、2018年8月2日付け) 『数学の60年来の難問を、「不老不死研究」の生物医学者がこうして解き明かした』や ismediaの2012年の記事『世界中で話題になっている画期的研究 20年後、人類は「不老不死」になる』などでも取り上げられている人物です。
後者のismediaの記事は、同氏を以下のように紹介しています。
英ケンブリッジ大学研究員で老年医学を専門とするオーブリー・デグレイ博士は、こう断言する。いくつかの条件を克服すれば、わずか20年後に、人類は不老不死になるというのだ。
デグレイ博士は、不老不死の研究に本気で挑んできた、世界でただ一人の科学者といっても過言ではない。彼は’09年にSENS(老化防止のための工学的戦略)とよばれる国際的な基金を創設し、ハーバード大学をはじめ、世界の名だたる研究機関と老化克服のための共同研究を進めている。また、老化に関する国際学会のみならず、グーグルなどの革新的な企業にも迎えられ、持論を語ってきた。
上の記事の中で言及されているSENSとは、SENS Research Foundationになります。
別人の顔・体への変換も可能に。
326ページの対談形式の挿話の中で、「高速の分子ナノ·マニュファククチャリング技術」を用いて、若い頃の昔の自分の肉体にも、別人の(任意の年齢の)肉体にも、歴史上存在したことのない新しい人の(任意の年齢の)肉体にも、瞬時に自分の(いまある体を)取り替えることができるという展望が語られています。
モリ-2007 それでは、将来のミス·モリーさん、 あなたはこの体と脳をいつ捨てるの?
モリー2107 将来のことは知らないほうがいいんじゃないの? それに、その質問はちょっと的外れね。
モリー2007どうして?
モリー2107 2040年代に、わたしたちの体の部位を生物的なものも非生物的なものも、すぐに作れる手段が開発されたの。わたしたちの本質は情報パターンだとわかったけれど、それでもまだなにか物理的な形で存在する必要があったわ。でも、その 物理的な形もすぐ変えることができたけれど。
モリー2007 どうやって?
モリー2107 新しい高速の分子ナノ·マニュファククチャリング技術を使うのよ。それでわたしたちの物理的な形態は,簡単にさっと再設計できるようになった。 だから、生身の体をもったりもたなかったりできるし、変更も簡単になったわ。
モリー2007 わかった気がする。
モリー2107 つまり,生身の脳や体はあってもなくても同じということ。でも、脳や体を捨てるわけじゃないのよ。捨てたってすぐに取り戻せるんだか
モリー2007 じゃあ、あなたは今もそうしているの?
モリー2107 まだしている人もいるけど、2107年ではちょっと時代遅れね。生物をシミュレーションしたものが本物の生物とまったく区別がつかないのなら、物理的な存在にこだわらななくていいでしょう?
非生物的な物質の「肉体」への組み替えから、サーバ空間上の意識のアップロードも可能に。
419ページでは、サーバ空間への脳と神経系のアップロードが現実になるという展望が示されています。
脳のアップロードについては第四章で記した。
脳のポーティング〔性能を向上させるためにいろいろ変更すること]の簡単なシナリオでは、人間の脳をスキャニングし(おそらく内部から)、顕著なディテールを全て捉え、脳の状態 を異なる–おそらくより強力なコンピューテイング基板に移し替えることになる。
これは実現可能な処置であり、おそらく2030年代の終わりには現実のものとなっているだろう。
このシナリオは、420ページで、より踏み込んで論じられています。
今のところ、われわれ人間というハードウェアが壊れると、生命というソフトウェア-個々の「精神のファイル」-も一緒に消える。
しかし、われわれが脳(および神経系、内分泌系、その他精神ファイルを構成する組織)と呼ぶパターンに収められた数兆バイトもの情報を保存し、 復元する方法が分かれば、事情は違ってくる。
そのとき、精神のファイルの寿命は、個別のハードウェア媒体の永続性(たとえば、生物としての体や脳が生き残るかどうか、など)には依存しなくなるだろう。
最終的に、ソフトウェアをベースとする人間は、今日われわれが知っている人間の厳しい限界を超えるものになる。
彼らはウェブ上で生きてゆき、必要なときや、そうしたいと思ったときには体を映し出す。
その形態は多様で、バーチャル・リアリティのさまざまな世界を舞台とするヴァーチャルな体、ホログラフィで投影された体、フォグレットが作りだす体、ナノボットの大群やその他のナノテクノロジーの形態で組織された物理的な体などがある。
“あらたな形態の「からだ」”と結びついた”知性(意識)体”
ところで、「知能」を持った行為主体(「自己意識」を具備するかどうかには関わりなく)が発生する過程では「からだ」が不可欠であると、小野寺は考えます。
それというのも、「外部」環境と「自分」という「外と内」を隔てる境界面なくしては、「自己」と「環境」の存在と状況認識を「認識」することができる「知能」や「知性」は発生しえないと考えるからです。
ここで、「自己」と「環境」の存在と状況認識を「認識」するというとき、「それを認識しているのは、いま・ここにいる『わたし』である」という「自己意識」・「自我」を伴う場合も、伴わない場合の両者を含むものとします。
「自己」と「環境」の存在と状況認識を「認識」するためには、自・他を分かつ「境界面」(=からだの「皮膚」)と、外界の状態(と内臓感覚などの「自分」の内部の状態)を感じるための「感覚器官」を備えたなんらかの身体が必要である、と小野寺はみています。
そして、その「からだ」は、カーツワイルが「生物的な」という形容詞をつけて表現する「からだ」としての、アミノ酸・タンパク質で組成された「生物的な」体である必要性はありません。
そうではなく、カーツワイルが「非生物的」と形容するような、ナノテクノロジーで作られた人工的な物質の筋繊維や、感覚デバイスでも支障がないと考えています。「生物的」であれ、「非生物的」であれ、ともかく「なんらかの」体が必要である、というのが小野寺の考えです。
先ほど引用した箇所では、カーツワイル氏は、人間は物理的な世界の中でも、バーチャル世界の中でも、任意の自由な材料(アミノ酸由来の生命組織、金属などの非有機物質(無機物)、ホログラフィ、ヴァーチャル数理モデル)で編み上げられた任意の肉体(ハードウェア)に、「自らの精神ソフトウェア」を、瞬時にスイッチできることが述べられていました。
その形態は多様で、バーチャル・リアリティのさまざまな世界を舞台とするヴァーチャルな体、ホログラフィで投影された体、フォグレットが作りだす体、ナノボットの大群やその他のナノテクノロジーの形態で組織された物理的な体などがある。
なお、「精神のソフトウェア」と(そのソフトウェア・プログラムが走る)「ハードウェアとしての肉体」は切り離すことができないと小野寺は考えます(人文科学・哲学の領域における「心身論」の考え方)
そのため、この”肉体のスイッチ”が、精神のアイデンティティ(自己同一性)にどう関わっているかが、大きな問題になってくると考えられます。
このあたりは、カーツワイル氏も明瞭に意識しているようです。以下は、421ページからの引用です。
しかし、わたしの精神のファイルをベースとする人物、すなわちいくつものコンピューテイング基板 に転々と移り住み、どの思考媒体よりも長生きするその人は、本当にわたしなのだろうか。
これを突き 詰めていくと、プラトンの「対話篇」の時代から議論されてきた意識とアイデンティティという問題に立ち返ることになる(これについては次章で考察する)。
21世紀の間に、これらは高尚な哲学論争の議 題としてではなく、実際的で、政治的で、法的な、きわめて重要な問題として対処しなくてはならなくなるだろう。
サーバ空間にアップロードされた「意識」は、「からだ」をもつか?
ここで、サーバ空間上に「アップロード」された「意識」体(当事者、行為主体)にとって、その「体」は、サーバ空間の中からアクセス可能な、電子機器デバイスや(ナノ・テクノロジーとバイオ・テクノロジーで人為的に組成・構築した)人工肉体になるのだと解釈することができます。
サーバ空間からは、世界・宇宙の任意の座標地点にある電子デバイスにアクセスすることができるでしょうし、同様に、世界・宇宙の任意の座標地点に、分子を織り上げて「任意」の肉体を瞬時に作り出すことができるのだと思います。
これら「電子デバイス」や「分子を織り上げて作り出した任意の肉体」が持つ「感覚センサー」が、(サーバー空間の中から)それらにアクセスしている「意識」にとっての「感覚器官」になると考えることができる、というのが小野寺の捉え方です。
このあたりの認識について、カーツワイル氏は、412-413ページ目に掲載された対話形式の「挿話」の形を借りて、次のように述べています。
なお、以下は、サーバー空間にアップロードされた「知能」(「意識」)を論じたものではなく、(生物的な)人間の脳の内部で稼働中のナノボットが(当の人物に)見せている「ヴァーチャル・リアリティ」について述べたものです。
しかし、なんらかの感覚器官から発信されるなんらかの神経信号されあれば、-たとえそれが、(ナノボットによって)人工的に作られた神経信号であっても-その神経信号を、人間の脳が(自然が生み出した「生物的な」(本来の)神経信号と同列に扱うであろう、という見方を論じています。
この見方は、サーバー空間にアップロードされた「知能」(「意識」)が、サーバー空間からアクセスした電子デバイスや(人工的に作られた)肉体に埋め込まれた感覚器官から受信した「神経信号」に、読み替えても、そのまま成立すると小野寺は考えます。
レイ きみはヴァーチャル·ボディを使っている。シミュレートされた体だ。
神経系の中や周辺にいるナノボットが適切にコード化された信号を作りだして、あらゆる感覚を送受する。それには視覚、聴覚、触覚はもちろんのこと、嗅覚も含まれる。
きみの脳からすると、その感覚は本物だ。信号は本当の体験から生まれたかのようにリアルに感じられるからね。
ヴァーチャル·リアリティのシミュレーションはたいてい物理的法則に従っているけれど、それはきみが選んだ環境次第だろう。
もし他のひとりか数人の人と一緒にそこへ行くとしたら、それが本物の人間であれ、非生物的人間であれ、その人の知能はヴァーチャル環境の中で体をもつ。
ヴァーチャル·リアリティの中のきみの体は、現実世界のものに見合ったものである必要はない。実際、ヴァーチャル·リアリティできみが選んだ体は、パートナーがきみのために選んだ体とは違っているかもしれない。
ヴァーチャルな環境と体を作りだしているコンピュータと、関連する神経信号がともに働いて、きみの行動が他の人たちのヴァーチャル環境に影響を及ぽすようにするだろうし、逆もまた然りだ。
他者との知識・経験の瞬間共有(ダウンロード)
これについては、439ぺージ目に記述があります。
教育の本質は、われわれが非生物的知能と溶けあうとき、ふたたび変化することになる。
そのときにわれわれは、知識や技能を、少なくとも知能の非生物的な部分については、脳内に直接ダウンロードする能力をもつことになるだろう。
今日、われわれが使う機械は日常的にそれを行っている。
もし自分自身のラップトップ·コンピュータをスピーチや文字認識、翻訳、インターネット検索、いずれかの分野で最高水準にしたいと思ったら、コンピュータに正しいパターン (ソフトウェア) を,すばやくダウンロードするだけでよい。
われわれの生体の脳にはまだ、学習の成果物であるニューロン間結合や神経伝達物質をすばやくダウンロードするためのCOMポートに相当するものはない。
それは現在われわれが思考に用いている生物的パラダイムの数ある重大な制限のひとつであり、特異点を過ぎればそれも克服されるだろう。
ハードウェア(計算機)とソフトウェア(アルゴリズム)の両面で計算機科学が発展することで、「シンギュラリティ」前後の状況が実現される
上記に引用したような原子サイズのスーパー・コンピュータが、21世紀の中葉には実現するだろうと、カーツワイル氏が予測する際に拠り所としているのは、「ムーアの法則」の継続的な進行です。
「ムーアの法則」として知られている半導体技術(計算基盤技術)の進歩の「加」速度が、これまでの「指数関数的」な「加速度」をこのまま維持して、今後も続いた場合、2045年頃には、人間の脳と同じだけの演算処理能力(単位時間あたりの演算数で見た能力)を持つか、それを上回る計算能力を持った計算機が、ハードウェアとして実現するという結論にたどり着く、というのです。
ここで、カーツワイル氏は、人間1人の脳を、ニューロン間の結合パターンからシナプス内の化学物質の濃度の細部に至るまで、計算機上で「完全に」模倣するためには、毎秒およそ$$10^{19}$$回の演算を行うことができるコンピュータが必要になるという前提から出発しています。
カーツワイル氏は、それぞれ異なる状況証拠に基づいて、人間の脳が(1秒あたりに)行う知的情報処理の演算量を推定した、複数の異なる研究が、上記の$$10^{19}$$cpsという数値にたどり着いたと主張しています。
ここで、カーツワイル氏が依拠している「複数の異なる研究」は、著書『ポスト・ヒューマン誕生』の巻末の引用文献リストに掲載されており、参照されている研究が、それぞれどのようなアプローチで、人間ひとりの脳が1秒あたりに行う演算回数を推定しているのかについては、同書のpp.130-134で、説明されています。
同書では、人間の脳を、”ニューロンやシナプスに至るまで忠実に、計算機上で「完全に」模倣する”のではなく、人間一人の脳が行う知的な思考作業と、「機能」面で同等な情報処理を(思考する仕組みは人間と異なっていても)模倣することだけを目指すのであれば、必要とされる演算回数は、毎秒およそ$$10^{16}$$回($$10^{16}$$cps)にまで、3桁減らすことができるであろうとも、分析しています。
その上で、カーツワイル氏は、計算基盤のコンピュータ技術(ハードウェア面でのコンピュータ技術)がこのまま「指数関数的」に進歩していくと、2025年には、毎秒$$10^{16}$$回($$10^{16}$$cps)の演算速度をもつコンピュータが登場するだろうと見てるのです(同書、p.134)。
そして、いくつかの技術的なシナリオによって、2020年あたりまで、このスケジュールは前倒しされる可能性も十分にあることをあわせて言い添えています。
また、同書 p.149では、物体(がもつ膨大な数の原子それぞれがもつ特徴の数である「量子数」–物質の「量子状態」を区別するために必要となる条件の数–を、演算を行うための物理的な手段(=「ビット状態」を見分ける手段)として最大限に利用すると、1kgの質量をもつ物体を用いて、「過去1万年間の全ての人間の思考(1万年の間の100億人の脳の働きに想定される)に相当する計算を、10マイクロ秒で実行することができる」「究極のポータブルコンピュータ」が、2080年には「1000ドルで買えるようになっていると推測されている」という、ある研究の結論を紹介しています。
以上は、「演算量」で見た「人間一人の脳」の能力(パフォーマンス)を、「ハードウェア」としてのコンピュータ(計算機)技術が、達成するための条件と、その達成年について、NGR論の中で提示されている将来見通しです。
他方で、「ソフトウェア」である「アルゴリズム」(知的情報処理を行う「手順」。考える「手順」)の面でも、21世紀のなかば頃には、人間一人の脳が行っている知的情報処理と同等の能力を持つコンピュータ・アルゴリズムが開発されるであろうと予想しています。
これは、2045年頃までに、人間が物事を考え、判断し、創造的な思考を行う仕組み(原理・アルゴリズム)が解き明かされることによって、実現されると論じられています。
そこで、この将来見通しを支えているのは、fMRIなどの観測機器による「脳」の「スキャンニング」技術と、ナノテクノロジーによって出現する「ナノ・ボット」が、人間の脳の中に入り込むことで、人間の脳が知的情報処理を行うメカニズムが、脳内から直接的に「観測」されるようになるというシナリオです。
そして、解明された人間の「思考の仕組み」を「機能的」に模倣することができるコンピュータ・アルゴリズム(=数理モデル)を設計する方法も、人工知能の研究者たちが「カオス・ニューラルネットワークモデル」を磨き、進歩させていくことによって、誕生するだろうと論じています。「
このように、ハードウェア(計算基盤)の面でみても、ソフトウェア(計算アルゴリズム)の面でみても、21世紀の半ばごろには、人間と同等か、それを上回る能力を持つ知的情報処理が計算機上で行われるようになるという見立てを提出しているのです。
そして、この「予測」がもたらす帰結として、人工知能(AI)の知性が人類の知性を凌駕するようになり、人類は、生物学的な知力の限界を、テクノロジーによって克服することができるようになるという結論(未来像)を、提出しています。
生体ニューロンと双方向の通信が可能な(人工)電子デバイスも実現可能と論じている
396ページ目では、「さまざまな技術が、生体情報処理という生身のアナログ世界とデジタルな電子工学との架け橋になるべく開発されている」という認識が示されています。この「開発」のとりくみの文脈で、「ドイツのマックス・プランク研究所の研究員は、ニューロンと双方向の伝達が可能な、非侵襲性デバイスを開発した」としたことを紹介しています。そして、以下のように続けています。
彼らはその「ニューロン・トランジスタ」の性能を示すために、生きているヒルの動きをパソコンでコントロールしてみせた。同様の技術でヒルのニューロンをつなぎ換えて単純な論理や算数の問題を解かせようという実験が行われている。
なお、上記の箇所は、以下の論文が注(第6章の訳注22)として、付されています。
NGR技術は、そこから先の社会の光景を予見するのが困難である時代の断絶点(=「特異点」。シンギュラリティ)に行き着く
その結果、そこから先の社会のありよう(あり方)や人々の死生観・人生観・宗教観が、どのような光景になるのかは、いまから想像するのは難しくなる—そのような、そこから先の状態を見通すことが難しい決定的な変化点・変曲点・時代の断絶点(面)である「シンギュラリティ」(「特異点」)—が、21世紀の中盤に到来するというのが、カーツワイル氏の「シンギュラリティ」論です。
(この「シンギュラリティ」論では、「自己意識」に目覚めたAIの誕生も予測されています)
このような「近未来像」を提示する「シンギュラリティ」論は、レイ・カーツワイル氏が2005年に出版した『シンギュラリティは近い』(”Singularity is Near”。邦訳書の標題は、『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版))のなかで、提出されたものです。
同書の中では、すでに述べたコンピューティング技術と、GNR技術の飛躍的な進歩によって、例えば、脳から四肢のつま先まで、人間の体を貫いて流れる毛細血管の中に、(「ナノ・テクノロジー」によって生み出される)超小型の「ナノ・ボット」(「人工知能」を搭載している)を注入しておくことで、人間の脳神経系に対して、脳の中から、直接、働きかける方法で、その人物に「仮想現実」を体験させたり、その人の知的能力を拡張したり、血管中の「ナノ・ボット」が、血中物質の変化を検出することで病の兆候を捉えたり(「病の早期発見」)、(ナノ・ボットの中に格納されたナノ・スケールの)薬を放出することで病の芽を早い段階で摘み取ったりする(「病の早期治療」)することで、健康寿命を伸ばすことが可能になると述べられています。
さらに、健康寿命を伸ばすだけでなく、人間のDNAの塩基配列を組み替えることで、老化現象が発生しない、理論上、不老不死の肉体を設計することもできるのではないか、というところまで、踏み込んだ「将来予測」を展開しています。
このような例を挙げながら、同書は、「N」・「G」・「R」の頭文字をもつ「遺伝子編集技術」(Genetics)と「ナノ・テクノロジー」(Nano-technology)、そして「ロボティクス技術」(Robotics)の3つの技術によって — これら3つの技術が「三本の矢」として、相乗作用を起こしていくことで—、今後、世界中の人々の宇宙観・世界観・人生観・社会観から、世界各国の社会と経済のあり方までもが、根本的に変貌を遂げていくという「GNR」論を展開しているのです。
「シンギュラリティ」という言葉の定義
「シンギュラリティ」という言葉の定義について、「そこから先の社会のありよう(あり方)や人々の死生観・人生観・宗教観が、どのような光景になるのかは、いまから想像するのは難しくなる—そのような、そこから先の状態を見通すことが難しい決定的な変化点・変曲点・時代の断絶点(面)」として、紹介しました。
カーツワイル氏は、この「シンギュラリティ」をどのような言葉で定義しているのでしょうか。
著書 “The Singularity is Near” (邦訳書『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版))の592ページ目で、次のように述べられています。
人類の知能は究極的にどんな特定の有限レベルをも超えることができる。それがまさに数学的な関数でいう特異点だ。
上記で述べられているように、「シンギュラリティ」とは、もともとは、数学者たちが数学上の概念として使い始めた言葉でした。その言葉の意味するところは、ある数式(例:1/x)に含まれるある変数(例:x)にある値(例:0)を代入すると、その数式の値は(正の)無限大となり「発散」し、その数式は数学的に定義不能になる、ということです。
590ページ目で、カーツワイル氏は次のように語りかけます。
特異占はどのくらい特異なのだろうか ? すぐにでも起きるのだろうか ? 言葉の由来から考え直してみよう。
以下は、上の一文に付されている「注2」の内容(補足説明)です。
数学では、特異点はどんな限界をも超えた値である-要するに、無限ということだ(正式には、そのような特異点を含む関数の値は特異点において定義されないと言われているが、近傍の点では関数の値はどんな特定の有限の値よりも大きいことが明らかにできる)。
関数 y=1/xにおいて、もしx=0であればこの関数は事実上定義されないが、yの値はどんな有限の値よりも大きいことが示せる。
この式の両辺の分母と分子を入れ替えれば、y:1/xはx=1/yに変換できる。よってもしyを大きな有限数とすれば、yがどんなに大きくても、xは非常に小さいがゼロではないことがわかる。だからもしx=0なら、y=l/xの中のyの値はyのどんな有限値よりも大きいことがわかる。 уがいかなる有限値よりも大きくなるということは、xを0より大きく、1をその有限値で割った数より小さくとることによってもいえる。
「特異点」では、数値は無限大となり「発散」してしまい、事象(数式)は定義不能に陥ってしまうのですが、その「特異点」に至るギリギリの近傍の地点では、数値はまだ「無限」ではありません。そのギリギリの「近傍」では、数値は「どんな有限値よりも大きい」特異点(=「無限」)に、どこまで近づいていきます。
また、「シンギュラリティ」は(宇宙)物理学の世界でも、よく用いられる言葉です。
具体的には、ブラックホールの内部で(時)空の”体積”が無限小になり、質量密度が「無限大」になる状態があり、「そこ」では、アインシュタインの一般相対性理論の数式が成立不能(定義不能)に陥る、その「状態」(「そこ」)を指す言葉として用いられています。
カーツワイル氏は、593ページ目で、次のように述べています。
したがって本書の「特異点」という用語法は、物理学の世界における使用法と同様に適正であると言うことができる。
ちょうどブラックホールの事象の地平線の向こう側を見るのが難しいように、歴史的な特異点の事象の地平線の向こう側を見るのも難しい。
10^16から10^19cpsに限られたわれ耄の脳が10^60cpsをもつ2099年の未来文明の思考や行動をどうして想像できるだろうか?
それにもかかわらず、まだ実際には一度もブラックホールの内部に入ったことがなくても、概念的な思考によってブラックホールの性質に関する結論を引き出せるのとちょうど同じように、 われわれは今日、特異点の意味を有意義に洞察するための十分強力な思考力をもっている。
こうした洞察こそが、わたしが本書で実践しようと努めてきたことなのだ。
ブラックホール(の重力場)に引き込まれた「光」は、2度とブラックホール(の重力場)の外に出てくることはできないと信じられていた時代が物理学の世界でありました。そのため、ブラックホールの内部がどのような状態であるのかを「見る」ことはできない、と考えられていたのです。
しかし、”The Singularity is Near“でも詳しく説明されているように、今年(2018年)亡くなったスティーヴン・ホーキング氏が、ブラックホールの縁では、ブラックホールの中から、「熱」があるやり方で「放射」されており、その「熱」の状態を詳しく解析することで、ブラックホールの内部がどのような状態であるのかを、ブラックホールの外側から(「熱」の)「観測」によって推し量ることができるのではないか、という提案がなされました。(この事象は、「ホーキング放射」(Hawking radiation)として知られています)
(宇宙)物理学から「シンギュラリティ」という用語を借りたカーツワイル氏は、GNRという3つのテクノロジーの発展によってもたらされる、人類進化上の “そこから先は、どのような状態が生じているのかうかがい知ることが不可能(定義不能)” である「シンギュラリティ」の「その先」についても、「2099年の未来文明の思考や行動」という「歴史的な特異点の事象の地平線の向こう側」についても、「われわれは今日、特異点の意味を有意義に洞察するための十分強力な思考力をもっている」という考え方を提示しているのです。
これが、カーツワイル氏の唱える「シンギュラリティ」の定義です。
その歴史観:すべては、「生き延びる」力の向上のために
なお、カーツワイル氏の「GNR」論・「シンギュラリティ」論は、ある明確な歴史観を伴っています。
その歴史観とは、宇宙開闢以来、現在に至り、さらに2045年頃を”決定的な飛躍の年”として挟みながら、ずっと先の未来まで、この宇宙は、「情報パターン」(=生命誕生までは無機物。生命誕生後は生命体)が、「カオス」としての生育環境の中で自らの構造を保ち、「生き延びる」ための力を終始一貫して高めようとして、進化を繰り返す過程である、というものです。
根本にあるテーマ:歴史とは、「生き延びる力の向上」を追い求める「秩序」増大の軌跡である
この世界観は、”Singularity is Near”(邦訳書『ポスト・ヒューマン誕生』)の中では、次のような形で表明されています。
宇宙が誕生してから、今日まで(そして、さらに未来に向けて)、「陽子・中性子・電子の発生」の後に「原子の誕生」が続き、さらに「高分子の誕生」がそれに続き、「有機物の誕生」が起き、それから「単細胞生物が誕生」し・・・といったように、「進化」は、「複雑さ」を増しながら、発展してきました(そして、未来に向けて、さらに「複雑さ」を増していく)。
しかし、「複雑さ」の増大は、この進化の軌跡という物語にとって主題(本質)ではないと論じられます。
そうではなく、上でみてきた宇宙開闢以来の「進化」の軌跡は、「情報パターン」が、より高次の「秩序」を備えた「パターン」へと、常に一貫してみずからを発展させてきた軌跡である、とされます。
この「秩序」については、邦訳書『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版)の59ページにおいて、「秩序とは、目的にかなった情報のことである。秩序を測る基準は、情報がどの程度目的にかなっているかということだ。」と定義されます。
そして、その「目的」がなんであるのかという点については、先の文に続けて、それは、「生命体の進化における目的は、生存だ」、と宣言されるのです。同書の63ページ目では、「生き延びること」と、表現されています。
このあと、本記事で説明するように、カーツワイル氏は、ミクロ・スケールで見た物質の組成構造も、DNAを織り成す塩基対の配列も、人工知能搭載型ロボットの頭の中で処理される「特徴情報ベクトル」(後述)も、その本質はすべて、(記号の配列)「パターン」、「情報パターン」である、と捉えています。
カーツワイル氏の「GNR」論・「シンギュラリティ」論は、この「情報パターン」が、(情報量も秩序も持たない)「カオス」たる宇宙の中で、カオスに侵食されずに、(意味を担う)みずからの「情報パターン」を維持し、カオスな宇宙の中で「生き延びる」力を、たえず向上させていく歴史である。そう、捉えているのです。
こうした「秩序」の増大へと向かう「衝動」ないし「摂理」ともいうべき傾向について、『ポスト・ヒューマン誕生』の380ページ目の挿話(「レイ」と「ネッド」と「ネッド・ラッド」の対話)では、「人間はそもそも限界を広げようとする生き物なんだ。」という表現がされています。
レイ わたしたちは自分がもっているテクノロジーと合体する。2007年には、大半の機械はまだ体内や脳内に入っていないが、その作業はすでに始まっている。
機械はいずれわたしたちの知能の範囲を広げてくれる。
人間はそもそも限界を広げようとする生き物なんだ。
2045年頃:「人間」的な要素を宿した「人間を超える知性体」の力を借りて、「人間」が「生き延びる」力は、さらに「強化」される
今後、2045年頃に誕生するであろう、人間よりも優れた知性を具備するに至った”機械の生命体”は、2018年現在の人間より、「生き延びる」力に長けた「生命体」であるという結論が導かれます。
ここで、カーツワイル氏は、人間 vs. 機械という構図が出現するのではなく、人間は、この「機械知性」を活用することで、「強化」され、人間自身の「生き延びる」力が増大していくのだと、論じています。
これは、例えば、
- [N] 原子レベルのサイズのナノ・ボットが、人間の身体の中に入り込んで、
- [G] 人間の遺伝子を修正したり、
- [R] 病気の兆候をとらえて(ナノ・ボットに搭載された人工知能アルゴリズムによって察知する)、ボット内に格納されていた薬のうち、最適(とAIが判断した)な薬を選んで、選択的に(患部に向けて)放射すること
で、実現されます。
まさに、N・G・Rの3つの技術(テクノロジー)が相乗効果を起こすことで、こうした未来が実現されるという展望が描かれるのです。
こうして、2045年(頃)以降、人間は、生物学的な進化の力によってではなく、(新たに)「テクノロジーの進化の力」を借りることによって、「進化」=「生き延びる力の増大」=”「人間」という「情報パターン」の「秩序」の度合いの上昇”、を追求していく(新しい歴史の段階に突入する)というのが、カーツワイル氏の所論です。
なお、『ポスト・ヒューマン誕生』の380ページ目の挿話(「レイ」と「ネッド」と「ネッド・ラッド」の対話)では、以下のくだりがあります。
レイ 確かに、現代の人間は細胞の集合体で、わたしたちは進化の産物であり、進化の最たるものだ。
しかし知能のリバースエンジニアリングを行い、モデル化し、シミュレートし、もっと有能な基盤でそれを再現し、修正・拡張することが、進化における次のステップなんだ。
テクノロジーを創造する種へと進化するのはバクテリアの宿命だった。今度は、巨大な知能をもつ特異点へと進化するのがわたしたちの運命なんだ。
「NGR」のうち、最も重要なのは「R」である
「生き延びる力」の増大に向けた動きとして、最重要なのは「R革命」による「知能」(「賢さ」)の増大である
カーツワイル氏は、宇宙という「カオス」環境のなかで、(みずからの)「生き延びる力」を増大させようとして、「秩序」の度合いを高めていく当事者のうち、「全宇宙でもっとも強い『力』である」(『ポスト・ヒューマン誕生』p.253)ものは、「知能」(「賢さ」)であると述べています。
その上で、この「知能」をもたらす『R(ロボット工学)』は、上記の意味で、「21世紀前半」に「同時に起き」るであろうG・N・Rの「3つの革命」のうち、「もっとも力強い革命」であり、「いちばん重要な変革」であると指摘しているのです。
以下、253ページ目の該当箇所を引用します。
そして、今まさに起きようとしているもっとも力強い革命は「R(ロボット工学)」革命である。人間並みのロボットが生まれようとしており、その知能は、人間の知能をモデルとしながら、それよりはるかに優れている。知能とは全宇宙でもっとも強い「力」であるため、R革命はいちばん重要な変革となる。知能は発達し続けると、いずれは前途に立ちはだかるどんな障害も予知し乗り越えられるほどに、言うなれば、賢くなる。
また、329ページでも、カーツワイル氏は、次のように述べています。
特異点を支える3つの重要な革命(G、N、R)のうち、もっとも重要なのがR、つまり人間本来の知能を超える非生物的な知能の創造だ。より知能に勝るプロセスが、知能の劣るプロセスを打倒し、やがては知能は全世界でもっとも強力な存在になる。
378ページ目では、次の文章が登場します。
知能とは、時間の成約を含め、限られた資源で問題を解決する能力だ。そして特異点は、自分がもつ力を把握し、それを越えていく-ますます非生物的になっていく–人間知能の高速サイクルによって特徴づけられる。
「R」は、「ロボット工学」と「強いAI」という2つの意味内容を含んでいる
なお、この「R」について、カーツワイル氏は、(の体を設計・制作・製造する)機械工学的な技術としての「ロボット工学」だけを意味するのではなく、「ロボット工学」と、(ロボットに搭載される)人工知能アルゴリズム(ソフトウェアとしての「情報パターン」)の双方を組み合わせた概念として用いています。そして、比重はむしろ、後者(「人工知能アルゴリズム」)の方に置かれています。
こうした考え方を明確に述べている箇所(『ポスト・ヒューマン誕生』p.330)を、以下に転載します。なお、転載にあたり、原文にはない太字と改行を加えました。
GNRのRとはロボット工学の意味だが、ここで実際に取りあげるのは「強いAI(人間の知能を超える人工知能)」である。
非生物学的知能の計画上、ロボット工学を特に強調するのは、知能は具体的な形、すなわち物理的な存在形態をとらなければ世界に影響を与えられないと、一般に考えられているからだ。
「R」と「N」は、相互に相手を高めあいながら進歩していく
なお、『ポスト・ヒューマン誕生』のpp.331-332では、この「R」技術の進歩は、「N」(ナノテクノロジー)技術の進歩と相互に触発をしあいながら、急速に進歩していくと予想されています。
以下、該当部分を引用します。(改行は小野寺による)
特異点の核となる問いは、「ニワトリ」(優れたAI)と「卵」(ナノテクノロジー)のどちらが先になるか、である。言い換えれば、強いAIがナノテクノロジー(情報から物理的な製品を作り出す分子製造アセンブラー)を完成するのか、それとも完全なナノテクノロジーが強いAIを実現させるのだろうか。
前者の論理の前提となっているのは、先にあげた理由からもわかるように、強いAIは超人的なAIを意味し、超人的なAIこそがナノテクノロジーの設計上の障害を解決し、その完全な実現を導くという見方だ。
一方、後者が依拠するのは、強いAIのために必要となるハードウエアは、ナノテクノロジーに基づくコンピューティングによってかなえられるという考え方だ。同様に、必要となるソフトウェアもナノボットによって実現される。つまりナノボットが人間の脳の機能をきわめて詳細に読み取り、それをリバースエンジニアリングによって再現するのだ。
どちらの前提も筋がとおっている。いずれのテクノロジーも他方を支援しているのは明らかだ。
実際のところは、どちらの分野も、進化するにはわれわれがもちうる最高のツールを使わなければならないので、一方の進化が同時に他方の進化を促すことになる。
しかし、わたしの予想では、完全な分子ナノテクノロジーの方が強いAIより先に登場するだろう。とはいえ、その差はわずか数年だ(ナノテクノロジーは2025年ごろ、強いAIは2029年ごろ)。
しかし、GNR論では、「強いAI」が「ナノテクノロジー」を進化させる道筋が主題的に描かれていない。
本連載記事では、カーツワイル氏のNGR論(シンギュラリティ論)が主題的に論じていない(と思われる)次の3点を正面から取り上げて論じていきます。
- 「強いAI」が、「G」(遺伝子編集技術、遺伝子工学)の進歩に、どのような影響を与えているのか?
- 「強いAI」が、「N」(ナノテクノロジー)の進歩に、どのような影響を与えているのか?
- 「強いAI」が、「R」(人工知能搭載ロボット設計・製造技術)の進歩に、どのような影響を与えているのか?
(非生物的知能を取り込んだ)人間は、「意思」をもって、宇宙の進化の方向に介入し、物理法則を利用することで、宇宙の発展の道筋を「決定する」存在になる
宇宙には、「知能で満たされた宇宙」へと、必然的に行き着く仕組みが組み込まれている。
475ページでは、「宇宙の宿命としての知能」という表題を掲げた節がもうけられています。
そこでは、以下のように綴られています。
著書『スピリチュアル・マシーン』で、わたしはこれに関係する、以下のようなひとつの考えを紹介した-すなわち、知能は最終的に宇宙を満たし、宇宙の運命を決定するだろうというものだ。
「知能は宇宙とどう関係するのか。
常識的には、「ほとんどなにも」である。星々は生まれ、死んでいく。銀河は創造と破壊のサイクルを繰り返す。宇宙それ自体はビックバンで誕生し、ビッククランチで終わるのか、永久に膨張するかである。そのいずれで終わるか、まだはっきりしていない。だが、知能はそれにほとんど関係がない。知能は泡のようなもので、容赦ない宇宙の力に巻き込まれたり吐き出されたりしている小さな創造のほとばしりである。心をもたない宇宙のメカニズムは活動を早めたり緩めたりしながら遠い未来に向かっている。そこには知能ができることなど何もない。
それが常識である。しかし私はそうは思わない。最終的には知能がそうした非人間的な力より強力なものになる、そう私は思っっている・・・・・・
宇宙はビッククランチで終わるだろうか。あるいは、、死んだ星々を内に収めながら無限に膨張していくのだろうか。あるいは、また別の形で終わるのだろうか。私の考えでは、主要な問題は宇宙の質量でもなければ、反重力の存在の可能性でもなければ、アインシュタインのいわゆる「宇宙定数」でもない。そうではなく、宇宙の運命はまだ成されていない決定事項であり、われわれがしかるべき時に知能を駆使して考えるものなのだ。」
カーツワイルの2つの「効用関数」:宇宙進化の内在的衝動と、知能で満たされた宇宙とを架橋する「橋」
カーツワイル氏の「GNR論」・「シンギュラリティ論」の核となる主張・見解が、478ページで展開されています。
究極の効用関数 サスキンドとスモーリンの、ブラックホールはマルチバースの中の個々の宇宙にとって「効用関数」(この場合、ある進化の過程で最大限に活用される特性)であるとする考えと、私とガードナーの、知能を効用関数と見なす考えとの間には概念上の橋を架けることができる。
最良の「コンピューティング環境」としての「ブラックホール」
究極のコンピュータになるとそのコンピューティング効率は非常に高い。いったんコンピューティング効率が最適化されれば、コンピュータの能力を増す唯一の方法は、その質量を増やすこととなる。
質量を十分に増やせば、その重力はブラックホールへの崩壊を引き起こすほど強力になる。
それゆえ、ブラックホールは究極のコンピュータと見なすことができるのだ。
(中略)
よく組織されたブラックホールは容積あたりのcpsという点では、もっとも強力に思考できるコンピュータとなる。
1997年、ホーキングと仲間の物理学者キップ・ソーン(ワームホールを研究シた科学者)は、カリフォルニア工科大学のジョン・プレキスルとある賭けをした。
ホーキングとソーンは、ブラックホールに落ちた情報は失われると主張し、ブラックホールの中で起こったいかなるコンピューティングも、それが有用であるなしにかかわらず、外側へ送られることはありえないとしたが、対するプレキスルは、情報は取り出せると主張した。
(中略)
それから数年の間に物理学会のコンセンサスはじわじわとホーキングから離れていき、そして2004年7月21日、ホーキングは敗北を認め、結局はプレキスルが正しかったと言明した。
つまり、ブラックホールに送られた情報は失われないのだ。
情報はブラックホールの中で変換されたのち、外側へ送られる。この理解の上に立つと、ブラックホールから逃避した粒子はブラックホールの中へ消えた反粒子と量子絡み合いの状態を維持しているということが起きる。
もしブラックホールの中にある反粒子が有用な計算に関わるなら、その結果はブラックホールの外側にあって量子絡み合いにある粒子にコード化されるだろう。
(中略)
ホーキングの新たなる主張が本当に正しいとすると、創造可能な究極のコンピュータはブラックホールだということになる。
リー・スモーリンの多宇宙進化論では、「ブラックホール」を効率よく生成する宇宙が進化の自然選択の中で生き残る
さきほど引用した480ページ目の記述は、次の様に続いていきます。
したがって、ブラックホールをうまく創造できるようになっている宇宙は、その知能を最大限に活用できるように設計されている宇宙だと言える。
サスキンドとスモーリンはただ、生物とブラックホールはともに同じ種類の物質(小野寺注:炭素)を必要とし、それゆえブラックホールにとって最適化された宇宙は生物にとっても最適化されたものである、と論じただけだ。
しかし、ブラックホールが知的コンピューティングの究極の宝庫だとすれば、ブラックホールの製造能力を最適化する効用関数と知能を最適化するそれは等しくなると結論できる。
ここで、474-475ページ目の記述が大きく関係してきます。
進化する宇宙 ひも理論を発見したレナード・サスキンドと、理論物理学者で量子重力理論を専門とするリー・スモーリンは(小野寺注:「ループ量子重力仮説」の提唱者)、宇宙は自然な進化の過程として次々に別の宇宙を発生させ、その過程で自然定数を改良していくと考えた。
言い換えると、われわれの宇宙の法則や定数が知的生命の進化にとって理想的なのは偶然ではなく、むしろ宇宙そのものが進化してそうなったというのだ。
スモーリンの理論では、新しい宇宙を発生させる仕組みはブラックホールの創造であり、もっともよくブラックホールを生ずる宇宙はもっとも再生の可能性が高いとする。
スモーリンによれば、複雑さを増すものーすなわち生命体ーをもっともうまく作りだす宇宙はまた、新しい宇宙を生成するブラックホールを生む可能性が高いということになる。
彼は次のように説明する。
「ブラックホールを通じての再生はマルチバースをもたらし、その複数の宇宙では生命にとっての条件は、基本的に同じになるー豊富な炭素などといった、生命が必要とする条件のいくつかは、一方で、ブラックホールになりうる大きさの恒星の形成を後押しするからだ」
ここでは、以下の2つが等号で結ばれるという驚くべき発見(見解)が、提示されています。
- ブラックホールの製造能力を最適化する効用関数
- 知能を最適化する効用関数
これは言い換えると、
- 「究極のコンピューティング環境」(=炭素が生み出すブラックホール)で宇宙が満たされる可能性が最も高い宇宙
- 「生物的な知的生命体」(=炭素で構成される)が生み出されるために欠かせない要件を備えた宇宙
とが、結果的に等しいということを意味します。
つまり、無数の宇宙が無数の子宇宙や孫宇宙を生み出していく”Multi-verse”(Lee Smolin博士)の自然選択競争で、必然的に選択されて生き残る「宇宙」は、次のような宇宙なのです。
- カオス環境のなかで、「みずからの情報パターン」=みずからの「秩序状態」=を維持する力に最も長けた「最高の知能体」=「究極の計算機」を生み出す環境条件が整った宇宙
宇宙は、”「秩序」=「情報パターン」”が「生き延びる力」の増大に向けて進化するという衝動をもっている。そして、その衝動が突き進んだ果てに、”究極な知能体=究極の計算機”である「ブラックホール計算機」を最大限に活用する(生物的-機械的)知能体の知性によって、宇宙の全域が満たされる状態が実現する。
宇宙の目的、そして、人生の目的
493ぺージ目では、宇宙の(進化の)目的と、(新たな形態の人間の)人生の目的について語られています。
- 伝統的な宗教の主な役割は、死を賛美する考えを正当化するところにある。すなわち、死の悲惨さ を、よいことであるかのごとく正当化するのだ。 こうした一般的な死の捉え方を、マルコム·マガリッジは次のように表現する。「死がなければ、人生は耐えがたい」
しかし、特異点がたらすであろう芸術や科学、その他あらゆる形態の知識の爆発的な発展によって、人生は十分、耐 えられるものになるだろうし、真に有意義なものになるはずなのだ。
- わたしの考えでは、生命の目的-そしてわれわれの人生の目的-は、より偉大な知識を創造して評価し、そして、より素晴らしい「秩序」に近づくことである。
第2章で述べたように、秩序が増加していくと通常は複雑さも増していく。だが時には、深い洞察により、複雑さを減少させつつ秩序を増加させることも可能となる。
わたしの見るところでは、宇宙の目的にも、人生と同じ目的が反映される。すなわち、より素晴らしい知能と知識に近づくことである。
人間の知能とテクノロジーが、この宇宙という拡大する知能の最先端を形成するのだ(今のところ地球外の競争者は見つかっていないので)。
- 臨界点にさしかかっている今世紀中に、自己複製能力をもつ非生物的な知能をとおして、太陽系全体にわれわれの知能を拡散させる準備が整うだろう。そして、それは太陽系以外の宇宙へも広がっていくだろう。
これが、カーツワイル氏の結論です。
以上、カーツワイルの「GNR論」と「シンギュラリティ論」が提示している未来論の内容、をかいつまんでみてきました。
(再掲)GNR論では「強いAI」が、「遺伝学」と「ナノテクノロジー」と「ロボット工学」を進化させる道筋が主題的に描かれていない。
次回の第2回目の記事で分析していきますが、「G」・「N」・「R」の3つのテクノロジーは、共通して、「情報パターン」を操作の対象とする技術であり、(遺伝子配列パターン、原子・分子の配列構造パターン、特徴表現ベクトルという数値の並びパターン)の持つ「意味」を解析して把握・理解し、理解した既存のパターンにおける「記号の並び」を再編成・再編集して、新たな意味を担うパターンに改変していく技術です。
「G」・「N」・「R」は3つとも情報パターンを取り扱う「情報技術(I)」である。
その意味で、「G」・「N」・「R」の3つのテクノロジーは、いずれも「情報パターン」を解読・改変する「情報科学」・「情報工学」であるということができます。
つまり、「情報テクノロジー(「I」)」は、「N」・「G」・「R」のすべての本質であると捉えることができるのです。
しかし、カーツワイル氏は、すでに引用済みの以下のくだりにあるように、「情報テクノロジー(「I」)」を、「R」(ロボット工学)のひとつの柱を構成する要素として位置づけています。つまりカーツワイル氏は、「N」・「G」・「R」の3つのテクノロジーのうち、「I」と係わり合いをもつのは「R」だけである、という捉え方を打ち出しているのです。
GNRのRとはロボット工学の意味だが、ここで実際に取りあげるのは「強いAI(人間の知能を超える人工知能)」である。
非生物学的知能の計画上、ロボット工学を特に強調するのは、知能は具体的な形、すなわち物理的な存在形態をとらなければ世界に影響を与えられないと、一般に考えられているからだ。
であれば、機械学習・深層学習技術(AI)の進歩が、「情報技術」としての「N」・「G」・「R」の進化加速に与えている影響を論じるべきである。
そこで本連載記事では、カーツワイル氏のNGR論(シンギュラリティ論)が主題的に論じていない(と思われる)次の3点を正面から取り上げて論じていきます。
- 「強いAI」が、「G」(遺伝子編集技術、遺伝子工学)の進歩に、どのような影響を与えているのか?
- 「強いAI」が、「N」(ナノテクノロジー)の進歩に、どのような影響を与えているのか?
- 「強いAI」が、「R」(人工知能搭載ロボット設計・製造技術)の進歩に、どのような影響を与えているのか?
具体的には、深層学習モデル(ディープ・ラーニングモデル)を含む機械学習・統計論的学習理論が、これら「G」・「N」・「R」それぞれの「情報パターン」の意味解析能力と、「記号列のパターン」の書き換え能力を向上させる上で、どのようなポジティブな影響を与えているのかを、論じていきます。
「シンギュラリティ」の負の側面と、政策論としての対処策
なお、”The Singularity is Near“(邦訳『ポスト・ヒューマン誕生』)は、「シンギュラリティ」がもたらす望ましい可能性(「非生物的知性」を取り込んだ「人間」の生存能力の飛躍的な向上を、まずは人類にとって「望ましい」事象であると捉えている)ばかりではなく、(「シンギュラリティ」の)負の側面についても論じられています。
負の側面として、もっとも多くのページ数が割かれているのは、人間の体内(脳内を含む)の至るところに(毛細血管等をたどって)入り込んだナノ・ボットが「自己複製能力」を持ち、体内で意図しない、制御不能な形で大量に増殖していくことで、「人体」を内側から蝕んでいく、というシナリオです。
今日、人類の死因の主因の1つである(生物的な)がんが、がん化した細胞が、制御不能なかたちで細胞がどんどん自己増殖していくプロセスで人体を蝕んでいくことと照らし合わせると、なんらかの原因(故障や、外部からのハッキングなどの諸要因)によって通常の動作から外れたナノ・ボットは、人類に取って新たな「がん」の病をもたらすことになるリスクを、私たちはリスク管理政策の中に、織り込んでおくべきであると警鐘を鳴らしています。
以上が、カーツワイル氏が警戒感を示している「シンギュラリティ」の負の側面です。
また、カーツワイル氏は、粉塵(ダスト)サイズの軍事偵察ナノ・ボットや攻撃ナノ・ボットが、国家の国防当局や情報当局によって利用可能となり、運用されることで、平時の期間から、国家が仮想的国の領土・領空・領海から、(場合によっては)相手国の国民の体内に侵入させて、スリーパーとして潜ませておくことで、冷戦時代の弾道核ミサイルによる「相互確証破壊戦略」(MAD)に代わる新たな相互抑止戦略が軍事ドクトリンとして出現するかもしれないとも述べています。
その上で、カーツワイル氏は、これら、「シンギュラリティ」によって立ち現れてくるかもしれない、複数の「脅威」の「リスク」を適切に管理・統制・コントロールする上で有効な国家政策の政策パッケージについて、(そのような事象が技術的に可能になる前の)いまのうちから、頭の体操をしておくべきであると問題提起をしているのです。
同書では、カーツワイル氏自身の政策提言と合わせて、エリエゼル・ユドカウスキー氏の“Friendly artificial intelligence”論など、同書が執筆された2005年の時点で、他の有識者によって提言されていた政策提言についても、丁寧に論じられています。
この連載シリーズでは、2018年現在、「自己修復」する能力を持った物質素材がどこまで開発され、すでに商用販売され始めているのかの事実確認を行うとともに、ユドカウスキー氏やニック・ボストロム氏によって提案されている、AIがもたらすリスクを管理するための方策について、概要を説明していきます。
2回目の記事に続く。