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2017.12.02

AI+ゲノム科学=? ゲノム科学で起きること(中央大学 田口善弘氏)

最終更新日:

2017年 アドベントカレンダー企画「AIの未来予測」の12/2分の記事です。寄稿してくださったのは中央大学の田口善弘さんです。

塩基配列=情報

1953年にワトソンとクリックは DNA が ATGC の4つ塩基の繰り返しからなる二重螺旋を構成していると提唱した。なんらかの繰り返しパターンが遺伝情報をコーディングしているだろう、という予想は、量子力学の提唱者の一人である物理学者、シュレディンガーによってなされていたが、正にその予想通りの構造が見出された。以来、この塩基にコーディングされた情報の実体を解明するために多くの労力が費やされてきた。
意味がわかろうがわかるまいが、とにかく DNA の全配列(=ゲノム)を読んでしまえ、という試みが2000年代に開始されて以来、その解読は急速に進み始めた。そして、ゲノム=デジタル・データという性質のゆえ、AI=統計学習・機械学習と結びついた時、自動運転が世界にもたらすに勝るとも劣らないインパクトを社会にもたらす、と目されている。

精密医療(プレシジョン・メディシン)

薬とは病に紐付けられるのが常識である。風邪には風邪薬、消化不良には胃腸薬、そして、頭痛には頭痛薬。効くべき薬はすべからく全ての人間に効くべきである。その常識はいずれ変わってしまうかもしれない。精密 医療 とは、 個々の患者の個性に合わせて治療法を個別に調整する医療である。現在までの多くの創薬は、なるべく多くの化合 物を準備し、標的となる疾患に効果があるかの実験を繰り返して薬の候補となる薬物を探すという非効率な戦略によって成り立っていた。しかし、AI を用いることで、未知の化合物が未知の疾患にどのように効果があるかを予測で きるようになる可能性がある。その基礎情報が個々人のゲノム情報である。

現在、個人のゲノムを読むためにはまだ必ずしも安くはない金額が必要だが、一塩基当たりの計測経費はムーアの法則を凌駕する速度で急速に低下しており、全ての個人が自らのゲノムの全配列を簡単に読み、IDの様に身に付けたカードか何かに記録して持ち歩くことができる日は目前に迫っている。どのようなゲノムを持った個人にどの薬が効くかという情報が蓄積されていけば、既知の化合物のどれがもっとも個人に適しているかにとどまらず、どの様な未知の化合物が特定の個人の特定の疾患にもっと効果があるか、を瞬時に予測できるようになる。

現在、我々が日常的に医療機関を訪れて受けているサービスは基本的に診断と投薬ということになるが、この部 分が完全に AI に置き換えられ、個々人が個人にもっとも適した化合物を処方してもらえる日が来るかもしれない。 そうなれば治療行為はもはや、我々に取って特別なことではなくなり、いわば健康ドリンクを飲むのと同じくらいお手 軽でアタリマエのことになる。がんや肝炎などかつて死の病とされた疾患を治療できる薬が日常的に発明され、老化さえもが治療可能な疾患として扱われ始めている。かつて、抗生物質が感染症による死亡者を激減させたのと同じような効果を精密医療は人類にもたらしてくれるだろう。行き着く先は多分、事故と寿命以外ではほぼ死なない 不老不死の人類であろう。

医療保険=崩壊

しかし、ゲノム科学と AI が結びついた未来に待っているのはバラ色の未来だけではない。精密 医療 が進歩し、個人のゲノムと紐付けられれば逆に、個々人が疾患にかかる確率と治療費用も又かなりの精度で予測できるようにな るだろう。その時、起きることは何か。現在でさえ、がんや肝炎を治療できるとして開発された新薬はその高価格故に 日本の皆保険の屋台骨を揺るがしつつある。いわゆる健康保険といえども、その前提には「誰がいつどんな病気に かかるかわからない」という仮定が存在する。実際には生涯に支払った健康保険料だけの利益を得ることができ なった層が無数に存在する。誰がいつ、どの程度の疾患になり、どれくらいの医療費がかかるかをある程度の確率で予測できるようになれば、現在の様な健康保険制度は維持不可能になるだろう。疾患にかかる可能性が少なく、 従って、かる医療費が少ない、と診断された層から健康保険料の支払いを拒むようになっていくだろうから。その場合、できることは重篤な疾患にかかる可能性が高い個人を今で言う身障者の様に扱って公的に支える制度への移行だろう。誰もが不老不死になるパラダイスの裏側には、そのためのコストを公的に補填されている多数の存在が 不可避的に出現するだろう。その現実を人々が受け入れられるか今はまだ未知数、である。

潜在能力=ゲノム?

優生学、という忌むべき科学がかつてあった。それは人の能力が遺伝によって決まると想定し、人の差別を正当化 し、極端な場合には「劣る」とみなされた個人を、生きる価値がない死すべきものとして規定することさえあった。その 闇の歴史故に、遺伝的な差異が人間の身体的特徴、特に、性格や知能に影響を与えるという研究はタブーになった。 だが、個々人のゲノムが全て記録され、また、その行動がライフログとして記録されるようになれば、ゲノムとライフロ
グを AI で関係付け、知能や性格がどの程度ゲノムに影響されているかを調べる研究がなされるのを止めるのは難 しい。無関係だった、という結論が出ればいいが、逆だった場合、何が起きるだろうか。狭義の知能(例えばペーパーテスト)がある程度ゲノムで決まっていると万が一わかってしまった場合、どうなるだろうか。起きることは多分デモク ラシーの危機だろう。一人一票の原則を旨とする民主主義はいかなる賢い個人も、集団知には劣っているという長 い歴史的な経験に裏付けられてなりたっている。しかし、この事実は個々人と全員の中間、つまり、人口のある部分に 限定した集団知が全人類によって構成された集団知に優っているという解の存在を否定しない。その場合、人類は 意思決定に関われる集団と関われない集団という2つのグループに分けられてしまう可能性もある。平等の崩壊、 差別の正当化、である。

だが、そこでそれが何をもたらすかは我々次第である。現在でも身障者の多くは劣っている存在として規定されて はいるが、それでも、法のもとの平等から排除されてはいない。むしろ、バリアフリーという名の、標準化が推奨されて いる。ゲノムと個々人の能力が詳細に紐付けられ、どのような能力が発揮できるかを推定できるようになった時、人類は健常者と身障者に二分されるのではなくその2つを両極端とする連続スペクトルの上に位置づけられるだろう。

僕個人としては、その時、バリアフリー概念も連続化して、結果的に真の意味での平等が成立することを望みたい と思う。その意味ではひょっとしたら、全ての人間の潜在力は同じで努力だけが最終的な能力を規定するという現在の思想は逆に、未来から見たら身障者に不可能な努力を要求した残酷な時代と位置づけられるのかもしれない。
AI+ゲノム=?、の未来は、その意味で我々の同義心やモラルが根底から試される未来になるに違いない、と僕は思っている。

編集後記

僕は基本的に物理学の立場から、ゲノムをベースとする生物学を、統計的な手法を使って理論的に解明することを目指しています。僕自身はゲノム科学の進歩が社会にどのような影響を与えるかということについてプロ研究者と言うわけではありませんが、自分が研究していることが完遂した場合に社会に何が起きるかを全く考えないわけではありません。今回、このような機会を頂いたので、自然科学者としてはプロの僕が、社会科学を考える立場としては素人なりに AI+ゲノム=?、の未来を考えてみました。皆さんがその現実に直面することを避けるのは難しいでしょう。この記事がそれを考えるきっかけになれば、と思います。誰もが別け隔てなく、かつ、否応なく、ゲノムをもっているのですから。

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