シンギュラリティを待つなんて止めよう。それは200年前から始まっていたのだから【後編】

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著者のDavid Mattin氏は、イギリス・ロンドンに拠点をもち世界180ヶ国に顧客をもつコンサルティング会社TrendWatchingでトレンド&インサイト部門のグローバルヘッドを務めています。同氏がMediumに投稿した記事「シンギュラリティを待つなんて止めよう。それは200年前から始まっていたのだから」では、シンギュラリティを産業革命のひとつの段階として捉えたうえで、現在の世界が取り組むべき課題が論じられています。

 

未来学者のレイ・カーツワイルが自著でシンギュラリティを論じて以来、このアイデアは「技術革新によって世界が一変してしまうイベント」という意味を共通項として、様々な論者によって論じられてきました。シンギュラリティの共通項に着目したうえで、同氏はこのイベントは2045年のような未来に起こるのではなく、約200年前に起こり今も続いている産業革命こそがシンギュラリティにほかならない、と主張します。

産業革命をシンギュラリティと捉えると、現在進行形の人類と世界の変化に関してふたつの着眼点から考察することができます。ひとつめの着眼点は人類は直近の200年において人類史上類を見ない進歩を成し遂げたこと、そしてもうひとつはそうした進歩の代償としてヒトビトを結び付ける絆が喪われたことです。

産業革命以前の人類は、神話や宗教、あるいは呪術的思考によって互いを労われるような精神的文化を築いていました。しかし、自然科学の誕生とそれに続く産業革命と啓蒙運動を経て、人類はかつての精神的文化を喪ってしまいました。産業革命に端を発する空前絶後の進化―つまりはシンギュラリティ―はその開始当初において喪失体験が伴っていた、というわけなのです。それゆえ、同氏は現在進行形の進歩を「トラウマ的」と呼びます。

進歩に伴うトラウマから回復する方途として同氏が唱えるのが、「労わり」の復権です。この労わりの必要性はAIと自動化の普及によって伝統的な労働が不要となった時、ヒトだけが行えるもっとも重要な労働とは「他人を気遣うこと」になる、という労働論的な観点から主張されます。そして、労わりの精神はベーシックインカムのような具体的な経済政策として実現できるものなのです。

カーツワイルが唱えるようなシンギュラリティが到来するかどうかは定かではありませんが、AIの社会実装が世界を決定的に変えてしまうことは疑い得ません。こうしたAIによる世界変革にどのように対処するかは、AI業界関係者だけではなく社会全体かつ地球規模で議論されるべきなのでしょう。

以下の後編にあたる記事本文では、シンギュラリティとしての産業革命が「トラウマ的」であることを確認したうえで、「労わり」の復権の必要性を論じてきます。

なお、以下の記事本文はDavid Mattin氏に直接コンタクトをとり、翻訳許可を頂いたうえで翻訳したものです。

▼前編はこちら

産業革命は人類史におけるもっとも変革的なイベントである。これこそが真のシンギュラリティなのだ。- そして、あなたはそのなかを生きている。

労わりの欠如

(※訳註1)上記見出しのタイトル「労わりの欠如」の原文は”The Unconsoled”であり、直訳すると「慰めのなさ」となる。以下の本文では“console”(慰める)という単語がキーワードとなる。ただし、日本語における第一義的意味である「悲しみや苦しみをまぎらわせる」(小学館『デジタル大辞泉』にもとづく)よりは、英語本来の「不幸だったり失望しているヒトに対して安らぎや共感を与えること」(Oxford Learner’s Dictionariesにもとづく)という意味で使われている。それゆえ、英語本来の意味に近い「労わり」という訳語をあてた。

われわれ人類は、世界を自分たちにとってより良い生まれ故郷とすることができる。また他人をより傷つけないようにする価値観を深く内面化することもできる。こうしたことこそが進歩だ。今日では自然科学と理性が活気づけてくれることによって、進歩の物語は前代未聞の変化をもたらす歴史的なシンギュラリティにわれわれを導いている。形成途上のシンギュラリティが進行しているこの新しい世界において、われわれはヒトとしての変わらぬ本質を保ち、なおかつ進化した性質も持ちわせるような人類として生存している。こうした本質を保った進化は、ふたつの決定的な含意を導く。

ひとつめは、人類の進化という物語には決して終わりがない、とうことだ。

われわれが進歩している、というのはもちろん本当だ。しかし、進歩に対する新しい外部からの挑戦は常に生じ、われわれを阻む新しい道は絶えず見つかる。われわれが創案した解決策は自分たちにとって新しい問題を引き起こすだろう。そして、解決と問題のサイクルはずっと続く。進化には終点や終わりというものはなく、われわれを待ち構えているユートピア的瞬間もない。そうではなくて、最高のヒトの進化の物語とは自らのうちにある理性と非理性のあいだの終わりなき闘争として理解されるのだ。つまり、進化とは世界をより良い故郷とし、人類に関する最高の倫理的ビジョンに気づくための終わりなき闘争なのだ。

ふたつめは、ヒトの進化をめぐる闘争は不可避的にトラウマ的、ということだ。

進化とは世界をより完全なものとして理解するために理性を行使するわれわれの能力と密接に関係している、というピンカーの考えについて議論するのは難しい。しかし、われわれが世界の解明を自然科学と理性に委ねた時、神話、宗教、そして呪術的思考にもとづく労わりに頼らなくなった。近代化は、われわれの物質的条件に関して夢にも思わなかった改善をもたらした。だが同時にそれは、人類は宇宙において特別な場所を占めており、互いに孤立して生きていながらも種全体としては卓越した意味を持っており、現在の受苦はより壮大な宇宙的ドラマのなかで意味をもつ、という労わりとなるアイデアを無情にもわれわれから奪ったのだ。歴史のほとんどの時において、人類はこうした労わりを手放さなかった。だがしかし、近代、啓蒙の時代、ポスト産業革命期となって、人類はもはや労わりを持ち続けることができなくなった。われわれは労われていない人類なのだ。

事態をより難しくしているのは、進歩がもたらす新しい世界は無秩序に目まぐるしく変わるものに不可避的になっていくことだ。近代の市民は、自分たちが生きている新しく複雑な環境に対処することが難しいことがわかっている。21世紀は、以前の世紀より進歩がもたらす困難がより真実味のあるものとなった。

産業革命を人類に関する真のシンギュラリティであると見るようになった時、われわれが今生きている時代を極めて歴史的なコンテクストで見れるようになり、現在のすべてが変革的なちからをもっていることもわかる。また自分たちがまさに決定的な歴史的ブレイクポイントのただなかにいることもわかり、こうした現在がはらんでいる混迷と複雑性を扱うのに悪戦苦闘しているのだ。現在の環境においては、ひとつでも反応するとすぐに明白になる。ある場所では小さなことでも、ほかの場所ではそれがすべてになる。宗教、神話そして呪術的思考にもとづいた労わりが奪われて、われわれはトラウマ的な変化のなかを生きている。こんな時代でわれわれにとって第一の仕事、あるいはわれわれに残されたもっとも有意義な仕事は、他人を労わることだ。

かつての労わりが欠如しているということを除けば、21世紀においてわれわれが見ている変化や直面している複雑性は案外単純なものかも知れないが、何百万ものヒトビトにとって、現在に生れ落ちるのはあまりにもトラウマ的である。そして、労わりが欠如していると、進歩がわれわれに反応を強いるちからによって傷つきやすくなってしまう。この進歩の傷つきやすさは、われわれが現在見ているポピュリズムがもたらす敵意に満ちた緊張に現れている。もしわれわれが可能なかぎり前進しようとするならば、他人に対する有意義な顧慮を可能とするために社会を再設計しなければならない。

近代性はわれわれを孤立化させ、恒常的な生産性と経済的成長を追求するために家族や友愛のような伝統的な絆を引き裂いた。21世紀において、自動化とAIはともにヒトによる労役を無用なものとし、より大きな混迷に向かう変化をはらんだ生存条件を作っていくだろう。こうした生存条件において実践できるのは、他人を顧慮することに立ち返ることだ。こうした立ち返りの必要性が増しているのは明白だ。この立ち返りは、他人に対してより多くの時間を費やせるように社会を作り変えることを意味する。より他人を気遣えるように、そしてそれがもっとも必要な時に為されるように社会を変えるのだ。顧慮がよみがえった社会においては親は子、大人はより年老いた大人、恵まれたヒトはそうでないヒト、友人は友人を気遣う。

想像を絶する生産性とより少ないヒトの労力で得られる豊かさを手にできるようになった時、ほんの一握りのヒトだけが仕事に意味を見出すことができ、そうした人たちが経済に貢献する。そんな環境において、一体何が残されるのか。その答えは何よりも大事なものであり、決して自動化されず計算上の生産性をもってしても一掃できない唯一のものだ。それはお互いへの気遣いであり、他人によって本当に見守られていることの必要性なのだ。

わたしはあなたを見守っている

他人を顧慮することが21世紀において意味があることに関して、実践的―さらには経済的―理由がある。

自身の年老いた両親の介護から解放された50代の大隊は高度に工業化された経済圏が直面している迫りくる介護危機の解決にむけた長い道のりを進んでいる。

ユニバーサル・ベーシック・インカム(※訳註2)は、何百万ものヒトビトを伝統的な「労働」に囚われることから解放するのに役立つだろう。ベーシック・インカムは根本的かつ革命的なちからをもつ象徴的な言明を生み出すだろう。その言明とは「あなたのヒトととしてのいちばんの価値は、あなたが経済にもたらす価値ではない」である。しかし他人への顧慮を行き渡らせるために、われわれは―自分たちの社会と集合的意識に対して―変化を起こさなければならない。だが今のところ、ヒトはどうあるべきかを描いた明白な将来像を誰も(おそらくわたしも)持っていない。

しかし、われわれの苦境をはっきりと見るための第一歩はおそらくはシンプルである。人類史上決定的なブレイクポイントを生きていることは素晴らしいことだが、トラウマ的でもある。進歩は偉大だが、闘争こそが真実である。

それゆえ、われわれはすべてのなかでもっとも困難だが重要な仕事を優先すべきである。そして、そんな仕事とは他人とともに生きるという単純なものなのだ。

(※訳註2)ユニバーサル・ベーシック・インカムとAIの社会実装の関係については、AINOW翻訳記事「仕事のない未来はどのように見えるのか?【前編】【後編】」で詳しく論じられている。この記事ではAIの社会実装が進むと雇用不安や経済格差が拡大する恐れがあるが、こうした傾向に対してユニバーサル・ベーシック・インカムや負の所得税を導入することによって雇用の安定と経済格差の解消が実現すると論じられている。

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David Mattin氏はTrendWatchingにおいてトレンド&インサイト部門のグローバルヘッドです。


原文
『Stop Waiting for the Singularity. It Started 200 Years Ago.』

著者
David Mattin

翻訳
吉本幸記(フリーライター、JDLA Deep Learning for GENERAL 2019 #1取得)

編集
おざけん

2019年12月5日

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